スチュワデスが呆れたドクタートヒモイ公式げすとはうす ~世界は基本的に広い~んですけど・・

ホーリー祭 バナーラス

インドのバラナース

 夕刻、ガンジス河に行き、沐浴を行い、体を洗った。
宿に戻ろうとすると、すぐに色を浴びせられ、結局、
河のほとりに座り続ける。
 沐浴場の階段で、神の歌を謳う一団。五、六人の
男たちは、サドゥ(聖者)を取り囲んでいる。一団の民
間人は、こざっぱりした格好をしており、話し方もスマ
ートで、社会において地位の高い職業に就いている
ものと思われる。私は招き入れられた。サドゥを囲ん
ではいるが、聖職者なのか、彼には何も話し掛けな
いで、皆、雑談している。隣の男は、ハシシをこねな
がら、私と日本の話をしていたが、突然、サドゥに向
かって話し掛けた。「ババ、用意ができました」彼は、
ハシシの入ったチュラムパイプを手渡す。サドゥは、
熱さ防止と、煙を冷やして喉に負担をかけないため
と、煙以外のものが口に入るのを避けるためのガー
ゼを取り出し、階段を降りて行き、ひんやりとしたガ
ンジスで清らかにガーゼを濡らした。そのガーゼをパ
イプの吸い口に巻き、神に祈る。男が火をつける。
サドゥは、ほんの一口、それも強力にしなやかに吸うと、
ガーゼを取り、男にパイプを渡す。男は改めて、鞄から
ガーゼを取り出し、水に浸し、パイプの吸い口に丸めて、
吸う。
後は、輪になった我々にパイプが順番に回ってくる。
自分専用のガーゼを持つダンディなサドゥは、最初の
一口しか吸わない。何度か、作っては深く一口だけ吸い、
トリップした頃、サドゥはようやく私に気づき、英語とも何
とも分からない早口で、私に、表情を変えず、二、三言
話し掛けてきた。目には特に敵意も親しみもなかった。
ただ、鋭く光っていた。


ネパール→インド ホーリー
いつまでも絶えることなくトモダチでいよう、また会う暇で
 ポカラ。ポカラの宿街は湖に沿っての一本道であった。
朝の4時、インド国境行きのバスが出るというが、バス停はないという。その1本道に立っていれば、バスは来ると言われ、真っ暗な中、4時前から宿の前の1本道でバスを待っていた。誰も歩いてないし、車のひとつも通らない。本当だろうか、と不安になっていたころ、バスは来て、手を上げた私を見つけたバスは、停まった。
また会う暇で
 その日は、ホーリー祭であった。子供たちが何度も、道を塞いでバスを止める。ホーリー祭は色掛け祭りである。バスに色水を掛け、バスがとまるたびに、子供たちが、バクシーシ(喜捨)を叫ぶ。
 夕方、ボーダーを超え、夜に、列車に乗る。
いつまでも絶えることなくトモダチでいよう、また会う暇で
 バラーナスに近づくにつれ、ゆっくりと明るくなってきた。私は悪さを思いついた。コップに水を入れ、踏み切りで待っている男に、水を掛けたのだった。愉快だった。
いつまでも絶えることなくトモダチでいよう、また会う暇で
 しかし、問題は、バナーラスの駅を一歩で手からであった。私は、一番背の高いタンガー(馬車)に乗り、少し荷物に隠れるようにした。しかし、色水は、外国人を容赦しない。私をみるやいなや、総攻撃である。私が、やがて、バングラッシーのあるゴトーリアを超え、適当な、一番の大通り沿いの宿に逃げ込んだ。勿論、宿は、厳重に鍵が閉められており、私を旅行者と見るや、即効で開け、私を招きいれ、即効で閉めた。そして「何でこんな日に来るんだ!今日は、外出禁止だぞ」と言われた。
いつまでも絶えることなくトモダチでいよう、また会う暇で
 しかし、ここは大通り沿いに、でかいルーフバルコニーがあり、そこから旅行者たちが、祭りの馬鹿騒ぎを楽しんでいた。私も急いで、バケツに水を入れ、通りに向かって水を一気に撒き散らした。それを3回も繰り返すと、通りには、暴徒寸前の人だかりとなり、色水をかけられないので、投石や、牛糞、馬糞が飛んできた。宿の主は危険を察知し、我々にもうやめてくれといった。私は、また煙に日をつけて、充血した目で、ゆっくりと、「オゲー、オゲー(OK,OK)」と言った。言ったが、暴徒は、宿の鉄錠門をガンガン叩き、大声でわめき散らしている。ルーフバルコニーは、石と、糞と、水でべちょべちょ状態で、ある。これで、ナチュラルハイしない奴はいないというぐらいの、緊張感で、ホンマモンのハイになっている旅行者の暴走は止められない。平気で、バルコニーにゲロっている旅行者、なんだか、わけもわからず、部屋にしけこむ男女を尻目に私は静かであった。ポエテックでもあった。路上の親父たちの髭からぽっかり口が開き、罵声が投げかけられ、手で招いてこちらに来いという。親しみある目の奴もいるが、危険な目の奴もいる。私は、煙をくゆらせながら、時折飛んでくる牛糞の塊を避け、相変わらず、時々、バケツの水を路上にぶちまける。そのたびに、歓喜の声と、怒涛の声の嵐。
いつまでも絶えることなくトモダチでいよう、また会う暇で
 そんなことを何時間も繰り返したあと、ネパールから夜行列車とバス26時間の旅に疲れていたので、じっくり眠り、起きると、もう夕方であった。
ルーフバルコニーに出ると、暴徒は既にいなくなり、一旦、私はシャワーを浴びて念入りに洗うが、色は取れない。特に、歯についた色は、なかなか取れない。
いつまでも絶えることなくトモダチでいよう、また会う暇で
 そして、私は外に出た。川沿いのガートに行くためだ。そして、宿を出たところで、即効でインド人に絡まれ、Tシャツが破れ、パンツも危うく破れる寸前でまた宿屋に戻った。まだまだギラギラであった。そして、愛玉からすっかり、色水でドロドロになり、宿屋の主にも、「自殺行為だ」とやじられた。
 また私は、シャワーを浴び、休む。
外に出ても大丈夫になったのは、日もすっかり暮れた後であった。
ああ、クローネバーグとバロウズの世界
こちらに続く



インド バナーラスの火葬場
いつまでも絶えることなくトモダチでいよう、また会う暇で
バナーラスでは、というか、インドでは、少なくとも、良くも悪しくも、油断すると、ついつい詩人になってしまう、あるいは、詩人と勘違いしてしまう瞬間がある。たまにそのまま詩人になってしまう場合もある。詩人の問題点は、単純で、食えないということだけだ。
いつまでも絶えることなくトモダチでいよう、また会う暇で

 聖地バラーナスでは、ガンジスの川沿いに火葬場がある。
火葬場遠方。
 いつも、することもない旅行者は、火葬場に行き、人が燃える行程を眺める。
 聖地に死ねるとは幸せなことだ。祭の日に死ぬことができればダンディである。ちょうど、手持ち金が無くなった日に死ぬことができればジェントルである。
いつまでも絶えることなくトモダチでいよう、また会う暇で

 火葬場で、死んだ人が焼かれる光景は、日常であり、特に、焼き場で働く人間にとってはまったくの日常であり、死が隠されている日本人にとっては、その人が焼かれるということ自体が日常であるということに、驚かされる。死が管理されて隠蔽されていないところに、自由を感じることができる。


 人が焼かれると、時々、水分が鉄砲水のように飛ぶこともあり、腕などが硬直して、ギギギギっと生きているように動くこともある。そして、焼き場で働く男たちは、次の死者を焼くために、川に無造作に、焼けた骨や焼け残った肉を川に放り込む。死体になんて邪険に扱うのだ、と思うと思ったが、そう思わなかった。
 西洋人たちも、一日、川沿いで焼かれる死体を見ている。私は気がついた。焼かれる死者を見る目が、西洋人全員が同じ目をして見ているのだ。きっと、私もああいう目で見ているに違いない。死体が焼かれる光景を見る死者を隠す社会から来た人間の目は皆、同じ目をしている。
 それは、どこも見ていない。焦点があっていないのだ。ただただ、燃える肉体を見ており、恐らくだが、何も考えていない。何も考えず、受け入れているのである。許容しているかどうかは、分からないが、そのままを受け入れているのである。肯定も否定もない。
いつまでも絶えることなくトモダチでいよう、また会う暇で
 
 子供とか、人生まっとうせず死んだ人間は、焼かれずにガンジス河に流される。
そんな、ブヨブヨに太った死体が時折、河の中央を流れる。大きく膨れた腹の上にカラスが乗っている。あるいは、淀みに、巻き込まれ、ガート(沐浴場)の端に、漂っている石鹸状の死体。死ねばモノになってしまうのだなと、思う。人間は肉でできていたのだなと、思う。
いつまでも絶えることなくトモダチでいよう、また会う暇で
 今、気がついたが、もしかしたら、私の行動判断は、この光景で変わったのかも知れない。「これは死ぬこともなさそうだからやってみよう」とか「こんなことでは死ぬこともないからたいしたことないよな」とか「死なないから大丈夫」とか。




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