スチュワデスが呆れたドクタートヒモイ公式げすとはうす ~世界は基本的に広い~んですけど・・

サンフラン

サンフラン最終編
サンフラン(以下「SF」と略す。勿論、セクスフレンドではない)もいよいよ、最終編になるのである。驚いたであろうか、書いている本人はちっとも驚いていないのは周知の事実である。
 チャイナタウンの端にあるワシントンスクエア。君たち、そんなに、日光が好きかね。今日、74年ぶりぐらいに、日本最高気温が出たよ。死ぬよ。人間だもの・・・(小学校のとき、豆辞典で日本の最高気温が山形県だと書かれていたことを思い出した)
SANFRAN
髪の毛染めるけ
SANFRAN
鮫、売ってます。硬そうです。死しても、鋭利な歯が開き、満面笑顔の鮫です。
SANFRAN
チャイナタウンを主張。鮫の笑顔に敗れる。
SANFRAN
バスの先頭に自転車を搭載。何か正面衝突事故を起こせば、自転車が真っ先に壊れてしまうのが、心配といえば、心配の種でもある。
SANFRAN
日本料理「三船」・・・。前に、飛行機に乗ると、三船夫婦が乗っていたのであるが、当然、周りの外人乗客や外人客室乗務員は知らない。何となく、あれは、「世界のミフネの娘なんだよー」と教えたくなったが、はしたないのでじつと我慢したのであった、しかし、ミフネ娘はなかなか周りに気を遣っていい人であるが、だんなはちょっと育ちが悪そうに、ちょっと傲慢なんだなあ・・・。これ秘密。
SANFRAN
日本人街はこれね。
SANFRAN
ポストがあるからポスト街かい?
SANFRAN
歌っていってもいいんだけどさ・・・
SANFRAN
マサルヂに行きたくなってきたと、ふと、思った、思ったので、明日、実行することにした。
SANFRAN
今日、SFで初めてとなる食事(そして最後となる食事)はズバリ、インド料理である。ナンにダルカレーにマンゴージュースで8ドルぐらいの無茶安で、激混みである。しかし、一人で来ているのは、私と、前にいるシク教徒ぐらいである。チャイが飲み放題である。驚きである。
SANFRAN
大道芸をして、逆立ちを続けている、黒人に、彼の友達が通りがかり、声をかける。「オイ、タバコもってないか?」「今手が離せないんだよ、バロー」
SANFRAN
地下溝には、雨水だけよ、蟹を流しちゃだめよ。
SANFRAN
SF地獄である。ウエエエヴェ~。
SANFRAN
寄っていくか?イイエ。



AM5:00 サンフランサンポ
なにげに
 アメリカらしく、ノースリーブからコートの人間まで歩く街も、朝の5時、ビルの軒先で眠る宿無しと、サングラスをしたランニングの親父、そして徹夜で飲んだくれた黒人が道の真ん中で眠っていた。 既に、都市機能は胎動し始め、バス、地上を走るメトロが走り始めている。ケーブルカーもこの時間なら待ち時間なしで乗れる。チケット売り場も閉まっており、その前に切符売りの親父が一人ぽつりと立っている。
SANFRAN
風が心地よい。風景と私の感情が、映画のセットのように陳腐だ。それほど高いビルはないが、ビルの上空あたりは霧で隠れている。
 バスが、ふらふら歩いている酔っ払いの肩に当たり、酔っ払いの黒人は倒れ大声で文句を言っている。泣き言のようだ。運転手はバスを止め、すまないという顔はせず、大丈夫か、と彼を抱き起こし、バスに乗せた。乗っている数人の乗客は、あまり関心なさそうに、その光景をチラっと見ただけであった。
SANFRAN
 ベイブリッジまで徒歩40分。交通量が世界一多い橋らしく、瀬戸大橋が出来るまでは世界最長の吊橋であったということである。その脇にあるフェリー乗り場では、マーケットの準備をする人々で多少賑わいかけていた。その脇にある公園では、相変わらず何人かの人が夜を明かして眠っており、頭のいかれた奴が、私の方を向きながらも、私ではない誰かに怒鳴りかけていた。早朝である。
SANFRAN
都市に植えられた整ったパームツリーは不自然に思えて好きになれない。好みの問題に過ぎないのであるが、ビーチに自然にメクラ滅法に生えた椰子に生命力を感じ、それが美しいと思う。
SANFRAN
 その後、チャイナタウンに入り、公園で体操をする世界中華街共通の風景を見つつ、先に進む。何かを食べようかと思うが、まだ、準備している状況で、店は開いていない。
SANFRAN
SANFRAN
SANFRAN
 ここの住人ではないというよそ者的感覚が何故そんなに楽しいか。責務責任義務を逃避しているように思えるのだが、多分、そうなのだろう。誰にも怒られず、誰からも無関心にされ、記憶を買い、街に金を落とすだけだ。少し寂しいな、という感覚があれば、旅は、尚、いい感じだ。
SANFRAN
掃除してくれている人、ありがとう、少し、そう思えれば、それは、それでいい。
 

 
サンフランシスコ(以下「サンフラン」と略す) カンコアンナイ(77)

アルカトラス島:アルカトラスといえば、昔、機内で「ザ・ロック」を見たり、アルカトラズからの脱出を見たりしつつも、昔、レインボーにいたグラハムボネット(ボーカリスト)が作ったバンド名でもある。高校生のころ、あの声にしびれて、思わず、全部アルバムは揃えていたのであるが、あのギタリスト、イングウエイマルムステーンはどうしているのか。まるで、グラハムを無視しているようかのプレイで、ちょとだけむかついていた高校生時代であった。
以下、ウディキペデシアより抜粋;1983年、マイケル・シェンカー・グループを解雇されたグラハムは元ニュー・イングランドのゲイリーとジミーと共にバンドを結成する。グラハムはレインボーで共演したリッチー・ブラックモアに良く似たギタリストを探すためオーディションを行い、元スティーラーのイングヴェイ・マルムスティーンを獲得。(イングヴェイ本人の話ではUFOの誘いも受けていたが、グラハムの方が歌が上手いと言う理由でアルカトラスに加入したという。)
イングヴェイを獲得したバンドはまだ正式なドラムが決まっていなかった為、スケジュールの都合で加入できなかったコージー・パウエルの推薦でクイーンのロジャー・テイラーと元アイアン・メイデンのクライヴ・バーを紹介してもらったが、ロジャーとはスケジュールの都合で断られ、クライヴに至ってはイングヴェイが拒否したため、加入にはいたらなかった。バンドは元アリス・クーパーのヤン・ウヴェナを加入させ、レコーディングに突入。
1983年12月にはデビューアルバム『NO PAROLE FROM ROCK'N'ROLL』をリリース。グラハムの凄まじいボーカル、イングヴェイの強烈なギタープレイとそれまで聴いたことないようなメロディアスな楽曲は世界中のヘヴィメタルファンに衝撃を与え、数年後の速弾き戦国時代突入のきっかけとなった。また、日本盤の伊藤政則のキャッチコピー「泣くがいい。声をあげて泣くがいい。」は日本のヘヴィメタルファンの間では有名な名言(迷言?)になっている。
1984年1月には初来日を果たした。イングヴェイはリッチーに憧れているとはいえ黒い衣装、白いストラトキャスター、ギターを壊すパフォーマンスと全てリッチーのコピーであるため客から失笑がもれた。しかし「テープの速回しじゃないか?」と噂されていたイングヴェイのメロディアスかつ強烈な速弾きは紛れもない本物であった。そして、この初来日の東京公演を収録されたアルバム『LIVE SENTENCE』をリリースされるも、グラハムとの関係が悪化したのを理由にイングヴェイは脱退してしまう。後任にはイングヴェイとはギタースタイルが極端に違うスティーヴ・ヴァイを加入させ、1984年10月に再来日を果たした。初来日公演も再来日公演もライブ・ビデオが発売され好評であった。
1985年にはスティーヴを迎えての傑作「Disturbing The Peace」をリリースしたが、同年、スティーヴが当時ヴァン・ヘイレンを脱退したばかりのデイヴィッド・リー・ロスの誘いを受け脱退、後任にダニー・ジョンソンを迎え、3rdアルバム「Dangerous Games」をリリースするも鳴かず飛ばずで1987年に解散した。
 SANFRAN
SANFRAN
SANFRAN
トランスアメリカピラミッド:金融街にある48階建ての三角錐の建物。内部一般非公開のため、内部ではどんなインサイダー取引が行われているかは不明。以上。
SANFRAN
 グレース大聖堂:丘の上のほうにあるノブヒルというエリアはお金持ちと高級ホテルがあり、景色がまあよいということなのである。
SANFRAN
ノブヒルといえば、小売の微笑の、シャロンストーンにマイケルダグラスだが、ダグラス、セックス中毒は治ったか?
SANFRAN
コイトタワー:丘の上にある。勿論、コイトさんが作ったのだ。手前は、性ペテロパウロ教会。サンフランが一望ということだが、私は、一応、コイトタワーを一望して終了。
SANFRAN
SANFRAN
SANFRAN
チャイナタウン。急に人通りが増える。どうやら市場にでたようだ。ここでやっとチンツーナイチャー(タピオカミルクティー)を流暢なマンダリンでオーダー。(このチャイナタウンは広東系らしいが)。世界一広い、アジア以外のチャイナタウンはここかバンクーバーか、ニューヨークか。それにしても、80年代に行ったシンガポールのチャイナタウンを思い出してしまう。
 SANFRAN
SANFRAN
SANFRAN
SANFRAN
SANFRAN
ジャパンタウン:益子、五重の塔に、大阪城はいかがかな、近鉄経営よ、私がここで飯を食うと思いきや大間違いである。夜、歩いていって、むちゃくちゃ疲れたのだからね。しかし、考えれば、ここの人たちは強制収容所に入れられたのだねえ。同じ、敵国ドイツ系は野放しだったというのにねえ。ジャパンタウンといっても、実際はコリア系や中華系が多そうだ。ジャパンタウンのピークは過ぎたのであろう。3,4世はもう日本語も分からず、店も継ぎたくない訳だ。
SANFRAN
しかし、まあ、サンフランといえば、ここか。そんな訳で、清く正しく美しいカンコー案内を終了します。


規則正しい急遽シスコカンコー 1
 そんな訳で、わが夏は、終わったのであった・・・とは、言わせず、気を取り直して、涼しいサンフランシスコ(以下「シスコ」と略す)を探索することにするのである。いつまでも空港にしがみついている訳にはいかないのである。
SANFRAN
 空港に置いてある、市内マップを見ると、市内に行く方法として、シスコからはここ数年でできたというバートという結構速度を出す(加速力があった)列車があり、それに乗る。風景を見ながら、下を見ると、まるで、仕事をしにきたみたいだぜ、フッと悲しい横顔が旅愁をそそるというものである。
 SANFRAN
 それにしても、私は、用意周到なのである。シスコには行く予定はなかったのではあるが、半年ぐらい前に「地球の迷い方、シスコ&シリコンバレー編」の最新版が105円で売られていたので、とりあえず、意味なく大人買いしていたのである。そして、出かける寸前に買ったことを思い出し、趣味で集めている世界ガイドブックコーナーINマイルームを散策すると、出てきたので、まあ、重いけど、一応念の為に入れておくか・・・なんて荷物の底に入れておいたのであった。そんな、もしもシスコに行くはめになってしまったらと一瞬1パーセント程度思ってしまったのが、ポジティブシンキングから外れてしまったのか、最悪を考えると、それが現実になってしまったのか、大変複雑な心境になっていたのである。
SANFRAN
そんな心境になり続けること30分で、メインの駅であるパウエル駅に到着したのであった。パウエルストリートのパウエルの由来は知らないが、多分、コージーパウエルでも、ベーデンパウエルでもないとは思う。そういえば、ボーイスカウトの創始者ベーデンパウエルってさ、スパイだったんだねえ。
 まあそんなことを思いながら、まずは、宿を取り、荷物を置くことにしようと、駅の近くから、外観を見ながら、宿を探す。宿だらけである。
SANFRAN
 しかしである、観光シーズンなのか、10数件回っても全部満室、または、居住者長期滞在者向けのホテルばかりで、だんだん、どこでもよくなってきたのも事実である。
SANFRAN
 16件目にやっと1室探し当てる。中心の広場ユニオンスクエアから奇しくも50メートルぐらいしか(1ブロックも離れていない)ない便利なロケーションなのであった、というか、もうどこでもよかった、値段以外はどうでもよかったというのが正直な感想だったりなんかもするのである。ホテル探しに、90分という長い年月を費やした私は、早速チェックインし、地球のだまし方を開いた、と思うと同時に目が閉じたのであった。
 SANFRAN
いかん、いかん、時差ぼけに負けてはいかん、と意識を回復したのは90分後であった。とりあえず、もう夕刻である。アメリカ本土に到着してから観光に出かけるまで、すでに、8時間という長い年月を費やしていることに気がつき、そういえば、寝てたので機内で朝飯も食ってないので、神妙な計算をすると16時間ぐらい飲まず食わずの状態であることにも、気がついたのである。
SANFRAN
まずは、メインのユニオンスクエアに出てみる。ここで有名なのは、ここの地下が世界初の地下駐車場であるということぐらいである。ちょうど、フィリピン人バンドによる催し物が開催されていたのであるが、奇しくも、中央の円柱は、米西戦争時代、米軍がフィリピンのマニラを陥落させた記念に建てられたものだということなのである。勿論、フィリピン人にとっては、為政者が代わっただけである、というか島国なので、国という概念もなかったはずである。
SANFRAN
そんな訳で、呆然とむちゃでかい消防車を見て、アメリカはでかいのお、とカッペになる。
SANFRAN
そうして、坂を歩き始めるのである。私のシスコの知識は、何か坂が多い街なのだという程度である。
SANFRAN
それから世界一古いケーブルカーがあるということだが、街中を走っているとはしらなんだ。
SANFRAN
しらなんだというついでに、いくつも丘があり、起伏の激しい街ということもしらなんだ。一つの丘があるだけかと思っていたが、これはなかなか珍しい街だなあと思う。いくつもの丘まるごと都市なのである。丘を越えてテッペンかと思えば、また下り、また上るのである。勿論、地図からは分からなかったのである。
SANFRAN
よく、日本でも西洋人が意味のないところで、街中へたり込んでいることがあるが、あれはよく分かる。私も各都市で、歩き過ぎて、意味ないところでへたり込んで休憩することがあるのだ。そんな訳で、休憩ついでにアルコール度10パーセントのフルーツビールのようなもの500CCを買って、へたり込んで飲んでいるが、これが非常に不味く、休憩中も、修行中のような気分なのであった。(以下明日以降続く・・・と思われる。誰も期待していない。)

おはようございました。
 朝、私は、サンフランシスコ(以下「SFO」と略す)に到着した。到着したが、今回、私は、アメリカには用がない。そのまま、1時間半後のメキシコ行きに乗り継ぎのだ。だから気分はアミーゴ!4日前に、すでにヤフオクで300円で「アミーゴ、地球の迷い方」を落札し、メール宅急便で送ってもらい、急いで、1日でいろいろチェックし、ネットでメキシコ関係を調べ上げ、ノートにいくつか、危ない行く場所や、夜の盛り場情報や、危ないもの販売事務所などいろいろチェックをばしており、すでに、気分と実態もろともアミーゴなのであった。
 しかしである、現在、アメリカでは、トランジットであろうとも、乗り継ぎであろうとも(あ、意味一緒だった)いったん、アメリカに入国しないといけない決まりになっているのである。そんな訳で、神経質になっているアメリカイミグレーションは指紋を採ったり写真を撮ったりして、大忙しで、長蛇の列なのである。飛行機も順調に30分ぐらいは遅れて到着なのである。
 そんな訳で、いらいらしながら行列に並ぶのである。並んでいる間にも、一向に列は進まないのである。比較的日本人は早く進みそうなものであるが、その前の便の働かれそうな国から来た飛行機を降りた列が、嬉々として進まないアミーゴ状態なのである。まだ1時間もあるさと、余裕かましまくりプープーのエグゼクテイィブな私も、多少、動揺を隠しきれなくなってきているのであった。すでに、昨日にして、1日延長してもらっているぐらいである。日本から到着した機内から、全員ごぼう抜きしてきた私さえも、すでに、入国を果たしたときは、非常にやばい状態であった。
アメリカは、出国はスタンプ押さず、セキュリティは厳しいだけであるが、SFOもなかなか広く、どこじゃあここじゃあ、走れなんとか言っている間に、すぐにセキュリティを抜け、アミーゴ行きの搭乗口に到着したのである。
 そこには、同様に、呆然としているメキシコ人らしき老夫婦と、アメリカ人レズカップルが閉まったゲートで相変わらず呆然としていた。私も、急いで呆然とした。
 しかし、何時間も呆然としている訳にはいかず、早速、明日のメヒコ行きを予約しに行こうと折り返し、カウンターに直行すると、満席オーバーブッキング、明後日もオーバーブッキング!
明日、また空港で空席待ちしてもいいけど、空席待ちが、えーっと20人ね・・・と言われる。
 そんな訳で、アミーゴ紀行は、幻と化し、気を取り直して、アメリカ、サンフランシスコ紀行となり、アメリカナイズされてしまったのであった。
 すでに、時間も、入国を果たしてから4時間が過ぎ、我、未だ、山麓にありいや、空港にあり状態であった。
パンジ



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