スチュワデスが呆れたドクタートヒモイ公式げすとはうす ~世界は基本的に広い~んですけど・・

2005/01/20(木)00:14

スマトラバスのこと

 今日は、一日中座って仕事をしていたので、尻が割れそうになった。私は、自慢ではないが、面の皮は薄々なのだが、尻の皮も厚くない。  そういった訳で、例え数時間といえどもバスに乗るのは結構苦痛ではある。(今回のバンクーバーとシアトル間の3時間半は尻が痛くならなかったが)    時々、悪夢のようにスマトラの厳しいバスの旅を思い出す。 スマトラ中部のパダンからバスでスマトラ島を南下し、ジャワ島に入ることにした。 道は年々良くなっているのだろうが、相変わらずスマトラバスは世界有数の厳しいバスだぞ、と聞いていた。バス会社は多くあちらこちらで客引きをしている。 世界六番目の島(七番目が本州)というのが、何となく親近感が持ててしまうのだが、赤道直下のジャングルの島で、山がインド洋まで迫っているという瑞穂の日本とは趣をかなり異にする。瑞穂っていうのも恥ずかしいものだ。ジャングルというのも木材や鉱山乱伐で恥ずかしいものだ。 もともとプランテーションや木材を運ぶための道路を改造したに過ぎない道路は雨季乾季の繰返しで凹凸し、ジャングルのせいでカーブばかり。遠方を見渡せるという景色はなく、ただバスは一晩中カーブを続け、ひたすら頭をぶつけながら何かを考えるしかない。 初め少なかった乗客も、徐々に増え、通路に人が無理矢理座っている。私の足元には私の足を枕に子供が寝ている。足の組み替えさえできない私の足には、お漏らしでべたべたになり、おまけに通路に座っている母親はそれに気づきながらも、「私達も耐えているのだから、あなたも耐えなさい」という目で訴えてきた。 道はいつまでもくねっているが、私の体力は続かず、不快のまま、カーブの度に体をフラフラ動かしながら自分が眠っているのが分かる。右に頭が寄る度に、隣の母の手によって頭をポーンと押し戻されているのは分かっているのだが、体は寝てしまっていて、自由にならない。左に頭が寄る度に窓枠に頭をぶつけているようだが、割れないことをひたすら祈っている。窓ガラスは片面しかなく前後の客で数分ごとに罵詈雑言と共に引っ張り合いをしているようで、数分間風は入らず熱く、あとの数分間は砂埃が入ってくる。旅行者として一番バス慣れしている私でもこの状態である。カーブの連続によって半数の人々は既に嘔吐し、バスに積まれている鶏と穀物とガラムの臭いと交じって、いよいよ終末感を醸し出していった。私の目は、既に魚の目。 一方、運転手は二人、車掌は三人、車掌の一人は休憩。二人はバス昇降口前後に身を乗り出し、カーブする度にバスの側面を叩き、奇声をあげて安全を確認する。運転手は一人は睡眠、一人は目を血走らせねがら、大音響で夜中の三時であろうがテープをかける。それに応え、車掌達はバスの側面を叩いてリズムをとったり奇声をあげる。つまり安全確認なのかノリノリなのかは不明だ。不快な夢の入口で音の割れたインドネシアンポップスが流れている。眠れないのに起きられない状態を続け、カーブで頭を打ち、目を開けると運転手もハンドルを切りながら、ハンドルを叩いてリズムをとっている。食事時間だけが休憩時間で、交代する二人の運転手の疲労度の都合で停車する。一日三食。朝食は朝の四時だったり、夕食が昼食の三時間後であったりする。 夜中の三時。暗い食事以外に止ったのは、スマトラ島ジャワ島間スンダ海峡のフェリーと、バスのすれ違いどきにお互いの後部がぶつかって運転手同士の喧嘩が長引いた時だけであった。 第一次欲求というのは強い。どんなに不快でも眠気には勝てない。常に振動があって頭を打ったり座席から尻が浮いたところで、脂汗をかきながら眠ってしまう。そんな中だからこそ、自分が眠っていると強く意識する。自分の不快そうに眠っている姿も容易に想像できる。起きることができない状態から起きる理由がないという状態に変っていく。 七十時間後、朝のラッシュに少しだけ巻き込まれた末に、バスはジャカルタ。 私の頭の中は、多少、ネジが狂い始めていたのかも知れない。あんなに厳しかったバスの移動も終点に近づけば、少し残念な気になってきた。赤道を超え、さらにかせいでいく旅。私はそのまま、今度は、ジャワ島中部スラバヤ行きのバスチケットを購入しのであった。

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