スチュワデスが呆れたドクタートヒモイ公式げすとはうす ~世界は基本的に広い~んですけど・・

2005/08/28(日)23:25

政治定食にはうんざり。

秀吉の天下統一以降、隣組などの相互監視制度をひいて日本は均一化したという。こんな話を思い出した。 ある村のたんぼは虫が発生して、どの家の田もダメになってしまった。1件を除いて。  その1件の百姓自身も何故自分の田だけが、豊作だったか分からなかった。 それを妬んだ村の人々は、その百姓の家を村八分にしてしまった。 そこで困ったその百姓はどうしたのか。  「おらの家だけ豊作だったからええだろ」と自慢して村八分を無視したわけでもなく、不作だった村全体に平等に米を配り与えた訳でもなかった。  豊作の自分の田んぼに火を放ったのであった。 日本らしいエピソードである。  ところで、何故その田だけが豊作だったかといえば、その田の横に松があって、その松が害虫を追いやっていたというのが、後年の見方である。 白糸の滝。   車を抜かしたり、渋滞の一番後ろについたときにファザードランプをつけるようになったのは、1990年頃からだったのではないだろうか。  1992年、関東何でも地道車ツアーを敢行したときに、岐阜で一泊、翌日の夜中に富士山麓を走っていた時に、運転を交代した奴が、ペーパードライバーで恐る恐る運転をしていた。 「後ろついたから、脇に寄って抜かさせてやれや」と私が言い、後続車が抜かしていくたびに、チッカチッカと2回ファザードランプをつけた。  「何じゃありゃ」とオール関西人の我々は、滑稽で笑った。 「あれってもしかして、感謝の気持ちちゃううん?ドケドケのパッシングとえらいちゃうやん」と愉快で笑った。 それから関西に伝わってくるまで、そう時間はかからなかった。 それと関西では信号待ちの時に、ほとんどの車がライトをスモールライトにするが、この分岐点は滋賀県であった。滋賀県の大津市、京都府の伏見区辺り以降になると、信号待ちも、ずっとライトをつけたままであった。  最近はどうだろうか。私も、ここ5年ぐらい、もうスモールライトにしなくなってしまった。

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