というわけで、私の純朴な心の奥底に暗黒の誘惑、アジアの風が吹き荒れ始めているのである。勿論、外見からは、そんな風には一向に見えないのだが、その事実は歴史が語ることになるだろう。残念ながら、私の第2の故郷を標榜していたフィリピンにはもう長い間行っていないのであるが、一部報道によると、あれから、えらく英語力が落ちているそうである。マルコス政権が倒れ、アキノ政権が出来、ナショナリズムの風が吹き、大統領自ら「バイピリピノ(フィリピン製品を買おう)」などと、コマーシャルでやってたのが懐かしい。まだ当時、フィリピンのテレビでは、英語番組がほとんどで、授業も、国語の授業以外は英語でなされていた。国語の授業は一番大きい島であるルソン島の言葉タガログ語であったので、他の島の人々は、家と学校と、国語の時間の言葉が違うトリリンガルな生活を送っていたのであった。やっぱり、フィリピンでうまれt赤らにはタガログや自分の島の言葉を、と思うのは当然であるが、半面、悲しいかな英語の需要は増えていくのであった。フィリピンは結構、気軽に外国に働きに行く国民性があり、特に看護婦なんかは、高給を求めて国を出るので、国内の慢性的な看護婦不足に悩んでいるくらいである。そんな訳で、今からフィリピンに行くぞ!というのは嘘である。
島国は島国でも、小豆島である。24の瞳である、みんな両目を持っていたので偶数である。