何を隠そう1960年代の大半を私は、あの世の住人でした。遂に1970年代を迎える直前、私は、手にバナナを、足に大人用スリッパを履きつつ、憂国の士であったのでした。
兎に角、昨晩は、イヤイヤながらワタクシ主催の慰霊会ではなく、慰労会を催したため、責任者としては、最後までその場に立ち会わなくてはならず、思わず、
半年振りのカラオケに向かい、勿論、曲目のレパートリーが増えるはずもなく、相変わらず、ワイルドでいこう、とか、すっかりハイスクールロックンロールとか、YMCAとか机の上で絶叫し、機材やコップや同行者の人格を壊してしまったのであったのだよ。
そんな訳で、帰宅は3時頃となり、大変、今も眠いので、狼が傷を癒すように、今から明日の朝まで眠るの所存です。まるでロシア人の気分であった。地球最後の日、ロシア人は、「今日は思いっきり飲んでも明日には二日酔いがないわけだ」というように。兎に角、声が出ないのである。声帯を壊したのであり、声変わりではないと予測されます。
ところで、3年しかなかった昭和60年代には、私は、乞食のようになってしまったのでありました。相変わらず夕刻の氏のままではあったのだが。