トイレに入り、潔い返事に何となく、世界が平和でありますように、というフレーズを思い出した。
世界が平和でありますようにの団体があるが、
あれはいったいなんだろう。
ワールドピースプレイヤーソサエティという団体が建てているが、白光真宏会を元とする団体である。子供の頃から、意味のないところに、意味なく、そんなので世界平和なったらいいわなと、子供心に思わせる立て札であった。どうやら、あれは信者でなくても、1万数千円で買って、勝手に立てることができるようだ。日本だけでなく、結構世界中にちょぼちょぼ立てられているとのことである。
ところで、新興宗教で、町名がついているのは、天理市と岡山県金光町だけである。天理市には、何かと、かつて何回か行ったことがあるが、市の中心部は、巡礼者の宿舎で埋め尽くされ、「ようこそおかえりなさい」と垂れ幕が下りまくっている。この旅館は、宗教法人であるがゆえ、天理市の税収にはならないのである。その代わり、寄付を多額に受けているとのことなのだが、詳細は不明である。
そして、はっぴ姿の老若男女の人々が通りを歩き回っているのであった。
天理教出身で有名なのは、中島みゆきであるが、考えれば、教祖中山みきに似ているんだなあ。関係あるのか。
休息。ゴディバ、飲む。
一方、金光教である。結構ざっくばらんんな団体であり、信仰の自主、教会の独立、経済の自立の3原則があり、祈りの言葉や動作に教主の趣味が入ってもいいし、教会単位で結構すきなことをしてもいい。しかし、上納金は少なく、結構、教主がせっせと蓄えなければならないという愉快なところがある。それから、制約はあるが、教主は条件はあるにしても、一応、選挙制になっているところも愉快である。(事実上は信任投票であるが、とても変な方向へ教主が走ることを牽制する仕組みなのであろう)
まあ、新興宗教で一番、興味深いというか、多くの新興宗教(「生長の家」や、「世界救世教」など。「生長の家」は前述「白光真宏会」「法の華三法行」などに影響を及ぼし、「世界救世教」は教祖死去後に分裂し「救世神教」「黎明教会」「神慈秀明会」、あるいは傍流である「世界真光文明教団」「崇教真光」(この二つは分裂したんだよね)をはじめいくつもの教団を生んでいる。)が辿ればここにたどり着くという大本だろう。亀岡や綾部と聞けば、それを思い起こす。この3つが近畿圏に幕末から現れた超ど級宗教団体であろう。まあ、かつての弾圧と分裂でかつての勢いはないのであるが・・・