スチュワデスが呆れたドクタートヒモイ公式げすとはうす ~世界は基本的に広い~んですけど・・

2022/02/27(日)15:55

讃岐饂飩と中学校3年生の担任の因果関係

中学校3年の担任は、我々の学校の地祇の赴任先で、校内暴力に破れ、故郷四国に帰り、そこで讃岐うどんを打っているという真実味の高い噂が流れてきたのは、まだ高校の頃であった。幸か不幸か、その先生が我々の担任をしていた年齢に、我々生徒自身が達したとき、つまり、AGE25になったとき、つまり卒業してから10年たったとき、つまり先生の頭が若白髪になったとき、我々は、四国から先生を招いて同窓会を催した。そのとき、初めて先生は、讃岐うどんでなく、まだ四国で先生をしていることが判明した。  私は、先生に会うやいなや、当時の先生に教わった「だろだっついいけれ」「かろかっくいいかな」と叫び、「先生はまだ五段活用をこうやって教えているのですか?先生私が誰だか分かりますか?最近の子供たちはどうなんですか?親はどうなんですか?何故先生は皆さん授業中にじゃーじというカジュアルファッションだったんですか?本当に、美術の先生と用務員さんは結婚したんですか?先生は子供から見たらみんな同じ先生に見えてたのですが、職員室で、体育の先生Kが、先生のこと呼び捨てにしているのを聞いてびっくりしましたよ。私が志望校を落とすことを希望したら、先生は何だかえらく満面笑顔でしたね。」程度の半分ぐらいの質問と感想を述べたことは、記憶に新しい。  前置きは長くなったが、さぬきうどん巡りをする旅行者が多いようである。レンタカーの車にも「うどん巡りレンタカー」とペインティングされていたし、店で隣に入ってきた30代の女性とその母の2人連れ旅行者は、私よりも弾丸よりも早く、うどんをバキュ~ムし、「さて、次行こか、次の店」といい、行き急ぐかのごとく、さっさと店を出て行ったのである。私のおわんには、まだ150円のス饂飩が半分残っているというのにである。もしかして、うどんのはしごが、四国観光お遍路さんに並ぶ2大観光目玉なのかもしれないと、やがて悟るようになってきたのである。そんな特殊事情もあり、私も、うどんやをはしごすることにしたのである。最初からどこの饂飩屋に行くのか、つまらぬ迷いなどしながら、人生で無駄な時間を過ごすのではなかった。思い立ったら、すぐ、そこで食え!そう30代の女性とその母の2人連れ旅行者が教えてくれたのであった。  前置きが長くなったのだが、私が高松に来たのは、4,5歳の頃におじいちゃんにつれてこられたことと、瀬戸大橋ができた頃、因島や、金毘羅さんに行ったこと、それと、もしかして徳島だったかもしれないのだが、剣山、石鎚山に登るために、一泊、早朝電車に備え、夜便のフェリーでやってきては、城のほとりでテントを張ったことが一回。まあ、そんなところだろうか。前置きが長く本題に入る前に、今日は前置きだけで終了なのである。  ちなみに、神戸港から船に乗る先生に尊敬の意味を込めて、我々は、エロ本とあんぱんを先生にそっと引渡し、また10年後お会いしましょうということで別れたのであった。 10年後、まだ、第2回恩師を囲む会は催されていない。もしかして先生は讃岐うどんを作っているかもしれない。

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