昨日の夜、僕は、大学の同級生で、この前まで入院していたO君と、これまた大学の後輩で、奴隷で、今度、子供が出来るというSとで、しめやかに、新年会ダボ飲みをしました。本当は、もう一人、大学の後輩でハメドリカメラマンのYも参加予定だったのですが、来ないので早く来いとメールすると、明日じゃなかったんですか?もう家に帰っている途中ですと、生意気な返事が返ってきました。
そこでの、誠実で生活に密着した会話を記録的に書きとめておくことにしました。
でも書こうとしたら、すっかり、二日酔いにはならない程度ですけど、飲んだので、すっかり内容を忘れている自分に気がつきました。
この正月は、僕は、中米とアメリカに行ってきたのですが、僕の周りで、唯一グアテマラに行ったことがあるのが、この同輩のO君です。今からおおよそ17,8年前になりますが、当時も今回も、やっぱり、日本人はほとんどいなかったようです。グアテマラの話で盛り上がったかといえば、それは、結構忘れてしまいましたが、何か話はしたと思います。
アメリカの国境のメキシコのティファナの話でも盛り上がりましたが、当時も今もメキシコ人の不良が溜まっているという話になりました。メキシコ人はとっても親切という話になり、病院に行った具体的な親切な目にあった話をしてもらいましたが、具体的には忘れてしまいました。
Sは子供がもう直ぐ生まれるので、でも、彼の嫁が産むので、彼は関係ないのですが、最近は、妊娠中も太らせないようにしているそうですね。昔は、何だか、何が何でも栄養栄養とかいってダボ食べさせていたような気もします。そこで、僕たち(僕とO君)は、僕たちの名前を一文字づつ、彼の子供(女の子)にあげることにしました。でも、Sは生意気なので、政治家のように、前向きに検討しますといいました。
O君は、なんだか、盲腸が腐って膿が出て腸も腐ってきたので、入院していて、何とか薬で治そうとしたのですが、結局時間がかかり、その間長いこと、苦しむということが判明して、手術をすることにしまいた。手術しますと医者に言うと、そうかね、と嬉しそうに揉み手しながら、じゃあ今日の3時からでいいムフとか言われて即刻切ったらしいです。でも保険で儲かりましたといってました。すかさず、もうすぐメクラになるSも、私も保険で儲かってますと自慢気にいうので、僕は、ちょっとだけ、痛みと苦痛のない入院をしたいなと思いました。僕も、用意周到なので、入院すると、1日1万5000円もらえるのです。
ちなみに、O君は手術後、痛くてたまらないので、モルヒネを打ってもらったのですが、痛みがすっと消えるらしくて、快感で、でも、6時間おきにしか打ってくれないので、3時間ぐらいから切れてきて、看護婦さんに、「注射してくれ~、打ってくれえ」とまるで、ヤクチュウのような懇願を繰り返していたようです。特別サービスで5時間45分ごとに打ってもらったそうです。モルヒネは、アヘン、ということで、やっぱりそっち談義が永遠に展開されていってしまったんですね、都合上。
で、3日たつと、座薬に変わってしまい、座薬嫌だとダダをこねて、まだむちゃくちゃ痛いと嘘をいい、特別に5日間モルヒネを受けたと満面笑顔のO君でした。僕たちは、今、ヤクチュウじゃなくてよかったなあ、ヤクチュウやったら、鎮静剤としてモルヒネじゃあ、効かないからねえ。ヤクチュウの人が手術されたら麻酔効き難いのでむっちゃ痛いからなあーというお話にも発展していきました。
困ったことに、アメリカから帰ってきてから12時頃になると、すんごく眠くなって、若干、朝の目覚めがよくなりました。何せ、9日間すべて、朝4時から6時までの間に起きたものですから。でも、その話はしなかったような気がします。
トヨタは昔潰れかけた時に、三井銀行や新日鉄に助けられたので恩義があり、住友銀行と川崎製鉄に逃げられたので、今もグループ挙げて出入り禁止だけど、三井住友になってしまって、最近は困っているという話から就職と産業構造の話に低下していき、シルバーセンターからバブルの話になり、実はジュリアナ東京は、考えたら全盛期はバブルはじけた後のカーニヴァルだったんだよね、とか、コンビに弁当の恐怖とかのオ話になりました。
結局最終的には、バンコクの新空港のお話とか、フィリピンのゴーゴーバー壊滅状態のお話とか、インドや中国の悪口とか、アジア人としてはアジアの話に落ち着いてきたりするんですよね。