ウィーンの博物館巡りが、年末年始などという特殊事情もあり、何となく手持ち無沙汰の半日が空いてしまったという事情もあり、明日の夕方の飛行機の前に、空港に荷物を預けて、バスで隣国のスロバキアに行くことにした。
何かでもらった冊子に、空港から1時間おきにスロバキアの首都、ブラチスラバに向けてバスが出ているということが書いてあったことを思い出したのであった。いつまでたっても、ブラスチラバか、ブラチスバラか覚えられないのである。
ホテルの入り口にあった無料のインターネットで、バスの時刻表を確認すると、概ね、ウィーン空港からブラスチラバまで50キロしか離れておらず、1時間おきにバスが出ており、所要時間は90分となっていたので、翌朝6時に起床、前日の夜に、リムジンバスが駅前から出ているということを知ったので、バス停を探しに行くと、歩いて5分のところにあったので、それも20分おきにバスが出ていたので、6時40分のバスに乗ると、7時半にはウィーン空港に着いたのであった。
空港で、一時荷物預けを探し出し、そのあと、空港のインフォメーションでバスガイドをもらい(ここでも、アナタどこに行きたいのといわれても、発音できずに、ブラチ・・ブラス・・・ブラブラ・・・といってもごもごしていると、にっこりともせず、案内嬢は、ブラチスヴァラと早口に言って頷いた)、バス停に並ぶ。
往復13.4ユーロ及びブラスチラバ内1日公共バス乗り放題1ユーロ券をバス内で購入したのであった。
物価の高いヨーロッパにおいて、隣国まで、1000円以内で行けるのは、考えてみれば、考えるまでもなく、安いといわざるを得ない。
バスに乗ると、30分ほどで国境を越え、1時間もしないうちに、ブラチスラバ中央バスステーションに到着した。よくわからないが、全員降りたので、つられて降りたが、地図とガイドブック、事前に調べたものが何もなく、ここはどこなのだという状態であった。私の知っている知識は、山の上にマリアテレジアも住んでいたというブラチスラバ城があるということだけだったので、そこを目指していくしかないのだなということであった。
10年前、チェコの首都プラハを訪れたが、この街は大変気に入り、また行きたいと思っているが、1990年代前半、チェコスロバキアは、友好的に国が別れ、首都になったこの新しく首都になったブラスチラバは、なんともいえず、チェコにおいていかれてしまったなという感覚があるのであった。
とにかく、まずは、キオスクで、地図を買うことにした。む、1ユーロ=30SKKと書いてある。そうなのか、ユーロではないのか(ユーロも使えるようだが)、と初めて知るのであった。
スロバキアで地図を買ってみるが、これがなかなか読めない地図であり、頑張って読み解くために、バスステーション内で簡単な朝食とコーヒーをとることにした。
案外、こういった状況はキライではないのだ。朝、一応、先に進まなければならないのに、余裕をこいてコーヒーを飲む、渋いじゃないか。渋すぎる!なんていっているのだが、結局、よくわからず、そこに、インターネットがあったので、ウエイトレスのおばさんに、これやりたいよというと、なにやら手で×をされたので、何だ壊れているのか、と思い、先程、バスステーションを出て、ここがなんという建物か確認して、とにかく、バスは乗り放題なので、やってくるバスの210番か81番に乗れば、ここに戻ってくることができるということが。分かった。
ただ、地図を見ても、どこが、街の中心なのかが、分からないままに、ウエイトレスのおばちゃんにここはどこと地図を差し出しては無視され、勘定でユーロを渡すと受け取ってくれず、下の両替所で、コロナ(SKK)に両替して来い、なんていわれて、少し、不親切な国なのだな、とたったひとりのおばちゃんを相手にして思うのであった。
おまけに、外に出ると、自国人がインターネットをしていたので、更に、不親切な国だなと、おばちゃん一人がスロヴァキアを代表して思うのであった。
外に出て、とりあえず、2つの番号のどちらかのバスに乗るかと思って、ふと、ウィーン空港でもらった時刻表を見ると、81番バスに乗ると、市内中心部NOVY MOSTバス停にいけるよ、って1行だけ書いてあったので、なんだ、これでいいのか、と分かり、地図で探すと、2キロ程度しか離れていなかったのであった。
しかし、外は、マイナスの気温、バスで行くことにするが、バスは、一旦、ドナウ川を渡り、旧共産圏時代に大量に建てられたと思われる個性のない粗悪な感じの団地を抜けて、再びドナウ川を渡ればすぐNOVY MOSTであり、大回りするので、20分程度も走っており、歩いてもさほど変わらないぐらいであった。
橋の下がバス停留所であった。
横には、すぐ、山の上に城が見え、うぉお、これが、これか、でも、寒いから登るのはやめととくか、とした。
歩き始めて3分、寒いので、すぐ暖をとるために、団体の後に付いて教会に入る。
しかし、教会の中も寒いので、団体のを離れ教会を出る。
左側一帯は旧市街となっており、とにかく、かなり寒く、お洒落でマフラーや帽子をかぶるものではなく、必需品なのだと実感しながら、歩き始めるのであった。
散歩は続く(日記も、まだ続く予定)
2009年正月旅行
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