激しい戦闘を展開した
関が原の合戦において、瀕死の重傷を負った拙者、老兵ではありながらも、マイバッハ(ではないが)を転がし、岐阜県から滋賀県に入っていくのであった。
いわゆる、ひとつの、勇気ある撤退である。何せ、男は外に出ると、7人の敵がいうというほどである、いつなんどき、石に躓いて転ぶか分からないのである。但し、ハイヒールを履く女性のように、ピンが、道の穴ぼこなどに刺さって折れるという心配だけはないのである。女装しない限り。
滋賀県は、順調に、米原を通過し、彦根に入るの8号線なのであった。
その8号線沿いに、Jr彦根駅のすぐ近くに、ジュニアではない、JRであったが、そこにあるのが、建築途上の遊園地である。
建築と言っても、もう20年ぐらい建築し続けており、それは、ただひとりのおじさんが建築し続けており、開園の目を浴びることなく、建築する端から朽ちていくといういわくつきの物件である。
おそらく、駅前の土地というだけに、権利関係、開発関係、893、相続問題、愛人問題などが、複雑に絡みに絡み、壮大な遊園地計画は頓挫したのではないだろうか。
しかし、男気ある、建築家(かどうかわからないけど)は、日々、朽ち果てるか、完成が早いかを、自分の寿命が尽きるが速いか、資金がなくなるが速いか、いろんな悩みや困難と立ち向かいながらも、コツコツと造り、たった一人、孤高の人として、作り続けているのである。世の中には、そんな
シュバルのような頑固一徹の人間が多く居るのである。私には、理解できないが、理解できないものは、国を去れ、革命を理解できないものは、キューバを去れって感じなのである(カストロ調にお願いします)
何セ、彦根で一番交通量の激しい8号線沿いにある物件、偉大にも、ほぼ全車両が無視するどころか、なかったことにしたいような感じを受けるのである。勿論、ご多分に漏れず、彦根公式観光ホームページの類のどこを探しても、見当たらないという地元完全黙殺の垂涎の代物なのである。
勿論、美術館もあるのだが、「完全にオマエは死んでいる」状況なのである。
しかし、何気に、ソファなんか置いてあるところが、開館間近までこぎつけたのになあ、って夢、夢のあとを彷彿させてくれる。
こうやって、国道8号線の安全と、交通違反を取り締まっている現代の神々なのである。
ゴー玉シャダルタ仏陀さまである。
その横には、不思議な、ゴールデンバヨリニストである。
よく見ると、というか、よく見なくても、既にその目覚めた人、分かりやすく言うと、分かっちゃった人、っていう意味のブッダは傾いているわけよ、どうするべ。
シブイか、まあまあ、シブイよ。
そんな訳で、前置きが長くなったが、滋賀県は「金閣寺」である。京都鹿苑寺は、僧侶が燃やしたため詩蛾権に移転したと思われるのである。今、東山にあるのは、完全ナル「イミテーションである」
そして、右側に金閣寺、左側には城である。この城こそ、大きな声ではいえませんが、
石田光成の佐和山城である。
この佐和山城から、チンケな彦根城が見えるのである。
今や、歴史的には佐和山城は、もう山しかないといわれているのだが、裏珍歴史上では、ここに移転あるいは、再建築あるいは、適当に建てられているのである。
その横には、合戦などの模様が絵巻物じゃないが、順列を追って分かるようにはなっていたのだが、今は、中味は取り外されて何もないのである。
もう志半ばで朽ち果てていくのか、というわけではなく、新しい、新品の磨きの御影石が順調に綺麗に並べて置かれていたりなんかもするのである。着手前夜って感じである。
馬も居るが、多少手持ち無沙汰的ではアル、誰もいないのだから、戦いに明け暮れて温泉にでもいきてえって感じの馬である。
ドケチの名古屋には負けるが、金じゃないしゃちほこである。俺はよー、別に放浪さんやベリーさんの悪口を言うつもりは全くねえけど、美人はトヨトミが大阪に、トクガワが江戸に、それぞれ、名古屋から持って行っちまったなんていう噂を聞いたからよ、いくら、珍スポットが名古屋周辺にあるって聞いてもよ、なかなか、近寄りがたいんだよなあ。
そんな俺でも名古屋周辺は10回ぐらい、短い10数年の人生で行ったことはあるんだぜ、蒲郡には泊まったこともあるし、安城市にも通ったkとあるし、名古屋市内では、テント張って寝たこともあるんだぜ、それもインド人おっさんと。まあ、そんな愚痴と自慢はいいとして、先程の御影石と違い、もう10年はほったらかしといった按配のバケツ群でもある。
やっと、城主のご登場でもある。
馬はやっぱり、どちらかというと、手持ち無沙汰って感じよ、アニキ。
しかし、不法侵入シテイル感じが否めないのは何故か。
休憩所も、しっかり開いている、日本語で言うとオープンだ。まあ、フランス語でいうと、ouvertだ。ドイツ語なら、なんだっけ、ウムラウトおーのオフテンだっけ?おら、ドイツ語5年したから、ペラペラに分かんね。
まあ、そんな訳で、まあまあ、堪能したって感じなのであった。どの建物も順調に入れないので、順調な屋外散歩しかできないと言う筋書きである。
一言だけ言わせてもラうと、自由に取るものがないってことぐらいかな。
このような、遺産がどんどん日本全国からなくなっていき、つまらない、単調で快適なだけの世界になる前に、異形を巡るたびを続け泣けレナならない、と泣くのであるが、理解者はほとんどいない。この手記を訪問していただいた方のほとんどはお会いしたことはないが、ないというだけである。チベットでは、ないことをあることがないという。それと同じだ、何だそれは?
「今、お茶がないことがある」とう表現をするまでだ。つまり、皆様と会ったことがないことがある。ということだ。不快のである。いや、深いのである。ティーフェである。
頑張って、耐えて1000円払っても、入れてくれないのである。閉まっているから、というか、1回も開いたことがないから。
彦根を見守るのは彼らに任せてようやく私は去るのである。何故虐待しているかは、怒りの神のみぞ知る。私は一生知らない、それが私の優しさだから。
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佐和山城、金閣寺