早朝、ドイツ、フランクフルトに着いた。乗継まで5時間程度の時間があり、市内まで空港から15分と、かなり近い素晴らしい立地なので、また、この1年で3度目になるというのに、市内に出かけた。
地下道を通って、市内にて、飯を食って、朝からビールでも飲んで、ブラブラするかなと思った。
掃除をしている人々しか居ない正月の朝。
昨晩、花火をあげたり、大騒ぎした模様の後であり、それでも、掃除は一通り終えたようであった。
駅前メインストリートには、1件の店も開いていない状態であった。
横道に入ってみたのだが、結局、イスラム関係の店が3店舗程度開いていただけであった。
そのうちの一つに腹ごしらえのために入ると、イスラムらしい男たちが数人、コーヒーを飲んでいた。タクシー運転手のよう思われる。料理もスープのみであった。なかなかうまいなと飲んでいると、やっと徹夜明けで楽しみ、疲れきったカップル若者が入ってきて、スープを頼み、無言でいそいそと食べて、10分程度で出て行った。
マイン川沿いに出た。風が冷たく、それでも、今年初めの太陽を拝むことができた。
寺院のシルエットが見える。
外に出ている人は、ランニングか犬の散歩の人たちである。正月も変わらぬ風景であった。
(犬は写ってないけど犬散歩女性)
それと、手持ち無沙汰な日本人(私ではなく、写真に写っている前の人)
私は、飛行機に乗るときは、印象をよくするため(ときどき会社帰りのため)、背広や革靴で乗ることが多く、今は乗り継ぎ待ち時間なので、革靴の中の足先が凍りそうに冷たくなってきている。
運動靴とは全然違うな、と改めて感じるのであった。
ところで、ジーンズを履いた西洋人でも、運動靴をはいているのが大抵アメリカ人で、革靴を履いているのがヨーロッパ人で、足元を見ると、結構、当たるのである。
バーでゆっくりの予定が、散歩になり、それも、終了間際。
そうやって、駅に帰り、寒いといいながら、駅のスーパーでビールを買い、予定より1時間早く空港に戻るのであった。
ところで、ロスチャイルドの発祥の地が、このフランクフルトのゲットーからである。その一族は、両替商とかをやっていたが、マイヤーロスチャイルドの趣味が、古いお金を集めるという趣味から、どういった経緯か同じ趣味のベルヘルムと知り合いとなり、傭兵や戦費を融資するようになってから、ドドーンと死の商人としてのし上がっていったわけである。その後、5人の息子は、フランク、ロンドン、パリ、ナポリ、オーストリアにそれぞれ、ロスチャイルド商会を立ち上げ、連携プレーで、更に儲けたって感じよ。
一番有名なのが、ワーテルローの戦いよ。イギリスとフランスナポレオンの戦いよ。もし、イギリスが、ナポレオンに負けて、イギリスがフランス領になったら、国権はすべて金くず同然。独自のネットワークで事前に戦果を知ったネイサンロスチャイルドは、売りに売りまくり、それを見た投資家も、イギリスが負けたと思い、売りに売りまくり、翌日、実はイギリスが勝ったと正規に発表されたときに、暴騰したが、その時には、裏でロスチャイルド代理店が買いに買いまくていたので、たった1日で、ロスチャイルドの資産は2500倍になり、イギリスのほとんどの投資家や貴族が没落してしまったのであったわ。
おまけに、フランスの賠償金を融資したのが、またもやフランスロスチャイルド。年利50パーセント。
掃除できねえよ。
・・・余談だが、おととい、ベンジャミンバトンの試写会を見に行ったが、ありゃ、ぶらっとピットに演技賞を取らせるための映画ということが分かった。ストーリー発想はおもしろいが、おいらの好きな深みとひねりがないよ。
2009年正月旅行
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