大使館や領事館の中は、治外法権だけあって、結構おっとろしいところである。
何を隠そう、今日は、西日本ミャンマービザ発行センターに行って来たのであった。うっ、しまった、手の内を明かしてしまった、というか、まだ航空券の手配はしていないのであるが・・・。(決して仕事をサボってではなく、会社から自転車で5分程度のところにあったので、15分ほど、こっそり抜けさせてもらっただけである)
ビルマというと、昨年、えらい事件を起こしたし、アウンサンスッチーを監禁したままの軍事政権だし、ビザも、申請書の他に、旅行ルート(到着出発予定日とヤンゴン観光の3行しか書かなかったが)に、余計なものは撮影したり、報道しないという念書を提出しなければならない。なかなか、鬱陶しいシステムとなっており、ビザセンターもかなり物々しい雰囲気を覚悟していったのだが、雑居ビルの一角、ビザ申請者も多かろうと恐る恐る入ると、机に椅子一つ、その奥に事務机に女性が一人、以上。
それにしても、怒りは、ビザ申請料金4500円。払った瞬間に、元を取り戻してやる、と鼻の穴が大きくなり、1泊予定を延長してやると息巻くのだった。
昔、といっても、1980年代のネウイン政権の時代のビルマは、ビザが1週間しか下りず、おまけに、強制両替200ドルだかなんだかがあり、何度も行こうとはしたものの、結局、タイ北部のメーサイからのチョイ密入国(戻ってきたときに賄賂要求されたけど)ぐらいであった。
考えれば、空港アライバルビザ以外に、ビザ申請というのは、そう多くない。
インド領事館とフィリピン領事館には何度か申請に行った。インド領事館は、今も堺筋本町にあり、インド国旗をなびかせている。申請に行くと、いつも、数人の申請者がいたのであった。
フィリピン領事館はかつて神戸にあり、震災で建物が潰れて、移転してしまったが、ビルの一角にしかなかったので間借りかと思っていたが、あのビルと土地を持っていたのであった。震災後土地を売っぱらってしまった。当時、フィリピンのビザは3週間まで不要だったので、申請する人はあまりいなかったようだ。ここは、入ると、いきなり音楽がなっていたりなんかして、ラテン系だ。フィリピンの国民的歌手のフレディアギラの我が祖国(バヤンコ)なんかが流れていて、まあ演歌みたいなものなんでしょうが、来訪してた女性が合わせて歌っていた。フィリピン女性が大人しそうな日本人男性を引き連れて、結婚ビザくださーい、みたいなことをいいながら入ってくるのであった。3回ぐらい見た。共通しているのは、元気はつらつピリピン女性に、無言のオドオド日本人男性の姿であった。
チベットに行ったときには、ネパールのビザを取りに行ったのだが、ラサの郊外にあるネパール領事館の立派な建物まで、ホテルから、1,2キロ、息も絶え絶え3700メートルの高地を歩いて行ったのだが、領事館の前に、守衛が一人入れる程度の床面積1メートル四方程度の小屋があり、ビザと書かれていた。その中に、にこやかに、ネパール人とおぼしき若者が、ニコニコして、ビザ申請かい?って聞いてきてくれた。
そのとき、チベットからネパールに入り、今度は、カトマンドゥでインド大使館でビザ申請したのだが、これは、さすがに人が多い。申請にも1時間ぐらい並び、延べ30メートルぐらいのベンチが備え付けられており、西洋人と日本人が並んで座っていたのであった。実は、このとき、ムチャクチャに飛んでしまっており、ホテルから500メートルもないのに、タクシーに乗って行ったよなあ。
インドのデリーの日本大使館では、今はメールの時代だから知らないが、インフォメーションセンターが備え付けられており、手紙を受け取ることができた。それを受け取りに、出かけていったものだ。その他の都市は、すべて、GPO留めにしてもらい、中央郵便局に出かけたものだなあ。その手紙(誰からきているか分からないけど・・そういえば心斎橋ワタル氏などからももらったなあ)を貰うためだけに、出かけ、有り余る時間を、いろんな人に手紙を書きまくったなあ。住所録持って行ってたものなあ。(なあ、なあ、と懐かしモード)
まあ、デリーの大使館には、パスポートの紙の残存枚数が少なくなり、増刷申請に行き、何故だか暇そうなクルタパジャマ着た気のよさそうな日本人が出てきてくれた。「いつも、パスポート取られたとかなくしたとかばかりでねえ・・・増刷とは珍しいねえ」といいながら、少し話をしたのであった。
役所であるのは、はたまた増刷のために、行ったバンコクの日本大使館であった。ギリギリ申請の11時59分に着いた私は、門を閉められ、大使館員に、何とかなりませんかと聞くと、明日来て下さい、といわれ、これからバンコク離れるのだよダメだよ、といっても、融通は利かなかったのであった。
やはり、一番すごかったのが、数年前の午前9時大阪のアメリカ領事館。まるで、かつてジャパ行きさんがビザ申請で日本大使館を2重ぐらいに取り囲んでいたマニラの大使館のようだ。日本というのに、ビザ申請やらガイコクジンやらで埋まっており(まあ、4,50人だったけど)、警備はすごく、私はビザ申請ではなかったので、すぐ入れたが、荷物は置いて行き、部屋に入ると、当時のブッシュじゃ、ライスや、の写真と国旗が掲げられ、ピカピカであった。どうみても、自分たちを過剰防衛して、無理やり敵を作っているようで、まさしく、アメリカというそのままやなあ、という感じであった。
私の横に居たのが、国際弁護士を連れてきた怪しい親父。飛行機の中で、米国に持ち込んではいけないほどのお金を持っていたので、飛行機の中で没収されたのを返して欲しいということだった。やり取りしなかったのかとう質問で、閉所恐怖症で(そう見えないけど)、終始飛行機の中ではうつ伏せだったので、話できなかったと訳の分からないことを言っていた。
あと、今でも分からないのが、80年代のインドネシア、当時、調べた中では、飛行機で到着する以外はビザか帰りの航空券の提示が必要であると書かれていたのだが、シンガポールから船でインドネシアのビンタン島タンジュンピナンに入ったのだが、入国管理官は、少し考えて、まあ、いいでしょう、とポーンと2ヶ月だか3ヶ月だか滞在OKのスタンプを押してくれたのであった。
そういえば、昔は、隣の国、韓国も24時間トランジット以外、ビザいったんだよなあ。
ちなみに、一番ビザ代が高かったのはファッキ-ンチャイナの1万円!
2009年夏旅行
ビザ1
ビザ2
バンコク着、ドリームホテル
ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー1
ミャンマー、ヤンゴン、ブッダテーマパーク・メーラムパヤー2
ミャンマー、ヤンゴン、スーレーパゴダ・ナーガ洞窟パヤー・カパーエパヤー
ミャンマー、ヤンゴン、アーレインガーシンパヤー
ミャンマー、ヤンゴン、ボタタンパゴダ
シェダゴォンパヤー1
シェダゴォンパヤー2
タイとビルマの間
バガン到着
パガン観光案内
パガン村に陽は落ちて
パガンガイド
ビルマあれこれ
アウンサンスーチー家近く
ヤンゴンを歩く
腹は下すが、ビルマ→タイ→シンガポール
バンコク、ワットポー
涅槃シリーズ
ハウパービラ1
ハウパービラ2
ハウパービラ3
ハウパービラ有料コーナー編
ハウパービラ最終編
シンガポール、ゲイラン地区
シンガポールガイドブック
シンガポールからマレーシアに行き失敗。
シンガポール観光案内。釈迦牟尼寺院、ヒンドゥ寺院
イメージオブシンガポール1
イメージオブシンガポール2
ホテルでどうする
東南アジアgourmetの旅2009年夏