スチュワデスが呆れたドクタートヒモイ公式げすとはうす ~世界は基本的に広い~んですけど・・

2009/10/01(木)23:59

常識的に最低限いかんとねえ

  いろんな名前を書いて、出す書類があって、氏名の上にひらかなとかカタカナとか、氏名の漢字の読み方を書く欄がある。何故ひらかなやカタカナを書かせる意味が分からなかったので、いつも、それは、無視してカタカナで書いていたが、要求されたとおり、自分の名前をひらかなかカタカナで書けばいいではないか、と思った今日。 就職活動の時にある企業で履歴書を出した後、人事担当者から、君、履歴書で氏名の上はひらかなと書かれているからカタカナで書いてはいけないよ、と指摘され、そのとき初めて、そこに、ひらかなとカタカナの違いがあることに気がついた。見たいものしか見えない、注意していないと分からない、何て散漫なんだ、と思った記憶が蘇ってきた。  常識とは、難しいものだ。学生時代、アフリカを休学して旅行している先輩からの手紙であった。あれだけ、アフリカに憧れていたとうのに、手紙の内容は、アフリカ人は人間じゃない、であった。なんて、差別的な人になっちゃったんだ、とそのときは思った。  しかし、それは、常識や教育なのである。その辺をいささかの本で知ったのであった。例えば、難民の多くの人が、「半分」という概念を持てないのだという。 10キロも20キロも離れたところから薬や食糧を貰いに、子供を背負って歩いてくる人々に、来るのは、大変だから、2週間分薬を持って帰ってくださいといっても、また来週来ますというそうである。で、来週かと思えば、3日後ぐらいに来たり、2週間ぐらいして来たりするそうである。10キロ20キロもまた適当である。私たちの感覚では、100メートルがあの辺りだから、あの10倍歩けば1キロだなと頭の中で分かるが、或いは、100メートル1分かかると、10分歩いたら1キロ歩いたかなと分かるものだが、地図も定規もそのた文房具もないここでは、それが、何のことか分からないのである。 字が懸けないどころか、簡単な足し算引き算も分からない、衛生もムチャクチャ・・・そんなところに、投資によって工場が作られたとしたとしても、労働力にならない。 よわっちい国に成り下がっても、教育が一番大事だ、と思う。  でも、自分も、人のことは言えない。良く分からないことをベラベラ喋ったり、誰が何といおうと俺はこうだ、はいいのだが、それで人に不快な目に合わせたり、先進国に居ても恥ずかしいのである。気をつけます。

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