スチュワデスが呆れたドクタートヒモイ公式げすとはうす ~世界は基本的に広い~んですけど・・

2010/03/28(日)21:58

ジョン

10年を目処に、もう少ししたら閉館するというので、ジョンレノンミュージアムに行ってきた。  埼玉県には、まず、用事はないというか、用事を何と定義するかによるが、どこにも用事なんか作らない限りなかったわ。そうはいっても、2000年に街開きのさいたま新都心、いつのまにか、埼玉県の大宮と浦和が合体して、さいたま市と、ヒラカナ県庁所在都市となっていた。 区画整理で、ありふれた、悲しい地域であった。バブル崩壊20年の間に、実に、不景気といいながら、都心も関西も都市部の再開発の目白押しで、バブル前より、主要なところは大きく変わった感じがするが、どう変わったか、というと、景気は悪い、景気を良くしよう、規模が再開発でかすぎて一社ではできない、大手が参画するが、突飛なとかスゲエというコンセプトや奇想天外やドギモを抜くような実験的建築やランドプランはできなく、意見もまとまらず、オーソドックスな成功もないが失敗もない無味乾燥な再開発地域が続々と出来上がる。特に中心にタワー、周りに低層棟、インテリジェント、ガラス張り、無味乾燥なオープンスペース・・・六本木、表参道、赤坂、汐留、丸の内、八重洲、恵比寿、豊洲東雲・・・1回行けば、もういいって感じで、別に1回もいかなくてもまあいいよ、てな感じで。 私がはじめて埼玉県に行ったのが、1990年前後で、川口市で、初めてそこで、カラオケというものを歌ったんだな、異邦人。そんな訳で、川口=異邦人=キューポラのある町?という構図が何故だか出来ている。しかし、記憶は曖昧で、マニラから成田まで帰ってきた日に、チベット仲間と会い、そのまま、川口にみんなでチベット仲間の一人が骨折したというので見舞いに行ったということで、てっきり、指摘されるまで風任さんも一緒だったと、以前指摘されるまで思ってた訳だからあてにならないものだね。 とにかく、まあ、そういうことはおいといて、ジョンレノンとする。私たちの世代もタイムリーではなかったが、ビートルズ含め何度も何度も聞いたのは、10代20代であり、それから、ずっと止まっている。いい曲だなあ、と思いながら無作為に100人の同世代を集めると、上位10人にはいる位聞いたかもしれないが、1位2位3位ではなかろう。ミュージアムに行き、新しい感動や知識を得たということもなく、そうだったよなあ、と懐かしげに思うだけであった。いや、イマジンの映画が公開されたときでさえ、懐かしいなと思って観に行ったような気がする。今更、だが、これだけには、誰にも負けない、ああ、そんなものがない凡人だわ。

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