先日は、オマーンへの道、その熱い20年間に亘る思いを粛々と綴ったのであるが、本日は、その2,3日前に起こったことを粛々と綴るつもりなのである。
まずは、トイモイ氏、独自の方法により(というのはウソ)、独自のルートにより(というのはウソ)、各社との粘り強い特別交渉(というのはウソ)、エグゼクティブなコントラクト(というのはウソ)により、満席でも空席待ちチケットを事前に購入し、外国に行けば、往復オープンチケットを購入し、いつでも、すぐさま、どこかには明日にでも飛んでいける状態にしているため、逆に、無茶適当になったり、楽観主義が吹き荒れるのである。特に自慢ではないが、学生時代にプラプラして、やる気のなくした慣れの果てであるに過ぎないのである。そんな訳で、私の自宅には未使用の航空券が多数転がっているのである(というのはウソ。きっちり整理されてしまってある)が、それは、富豪でもあるゆえ、仕方ないのである。(というのはウソ)
そんな訳で、先々週の金曜日は夜中にいっちょドバイ経由でオマーンを目指しますよ、ってな感じで、目指すのであるが、連休突入で、前日の昼間に空港会社に直接連絡したところによると、満席でとても乗れません、来られるだけ無駄ですよ、ということだったのだが、まあ、それでも空港に行ってみようという前向き一筋の私目であった、が、金曜というのは、概ね、仕事を帰り際に頼まれるのである。私は、とておいい人なので、明日できることは明日に延ばすが、頼まれたことは、すぐしてしまうという、非常に便利な人間というか性格であり、刻々と、23時の関空発の時間が近づきつつあり、汗も多少噴出しながら、まあ、でも満席だから、行くだけ無駄かもね、とか思いつつ、結構消極的に22時に会社から、コインロッカーで荷物出し経由で関空に行ってみたのであった。そして、しっかり、満席で乗れなかったのである。一応、明日はどうですかと確認すると、明日も満席で厳しいです、明後日からは多少空席ありますね、という職員の返事であった。
私は、最終バスで大阪に戻り、自宅に戻り、いろいろ検討の結果、成田発バンコク行きのチケットを持っているので、とりあえず挑戦してみることにしたが、結構死の時も迷いつつあり、急いで、バンコクからバスで行ける名所、珍スポットをチェックしつつ、夜な夜な終えてしまったのであった、ノートにびっしりである。とにかく、必死のパッチのメモ帳ではありながら、急いで成田に向かうのであった。
翌朝、成田空港に到着したのだが、しかしながら、バンコク便は夜なので、飯食いに、日帰りで急遽ソウルに行くことにしたのである。うっかり全ての荷物をコインロッカーに預けてしまい、全くの手ぶらで財布とパスポートとクレジットカードだけを忍ばせて飛行機に乗って、飯を食って、夕刻に戻ってきたのであった。
そうして、夕方の成田、それがそれで、しっかりがっちり満席で乗れるはずもなく、もう家にも帰るのも面倒になったので、成田の近くのホテルにに泊まるのであった。
そして翌日、月曜なら夜便はまあまあ空いているという関空のカウンターの言葉を思い出しつつ、成田から、伊丹空港経由で関空に向かうのであった。結構時間もあったので、空港で散髪したどころか、成田空港近くのホテルでは、2時まで寝ていたぐらいの堕落ぶりであった。
結局、1日あけてまた関空のカウンターに行くのも、前の担当者に見つかると、まだ日本にいたのですかと笑われそうだったので、神妙に担当者を選び(おとといに面会しなかったカウンターにいる「担当者」)、「あのー、すみません、完全なオープンチケットなんですけど、祝日土日挟んでいるので問い合わせも出来なかったんですけど、今日空席ないですか」とカウンターで聞いてみると、「え、予約もなしですか?」と不審がられも、今日も満席で、非常に厳しいですよ、予約も成なしに突然くるなんて・・・とうような顔をされながら、空席待ちのリスティングを終えたのであった。また出発1時間前に来て下さいといわれ、愕然とする。もうこの休みの旅行は終わったな、と思ったのであった。
出発40分前、カウンター近くには私と、グアム在住のアメリカ人夫婦2人以外は閑散としていた。実は、3人まだノーショウ(予約しているのに現れない)だという、誰も来なかったら乗れる。我々3人は健闘しあった、どんな健闘かというと、3人来るなよ、という祈りであった。
出発30分前、遂にファンファーレの旗は振られた。3名様OK!と、ノーショウ(予約した人現れず)と。そこで、トイモイ氏、いつも抜かりないのである。我々3人は、「コングラチュレーション!」と健闘を称えあい、荷物を通過させるのである。席も既にプリントアウトしてくれており、走ってください!といわれるのである。彼らは、ドバイ経由でチェニジアに行くそうである。今朝グアムから飛んできて、マニラに行こうとしたが、満席で乗れなかったそうである。同じような、行ける所に行くという人間がここにもいたのであった。
とにかく、私は、卑怯なのである。1000円程度のお菓子をいつも用意しているんどえある。懐柔策というか買収である、搭乗OKが出ると共に、すぐさま、私はお菓子一式を皆様でどうぞと渡すのであった。後付けではあるが賄賂である。トイモイ氏、出国予定より48時間遅れての出国と相成り、全てのスケジュールを短縮しなければならなくなったのであった。カタール行きを諦め、アブダビも省略だ。ケツは決まっている、オレは、しがないビジネスパーソン、激務が待っているのである。歩きながら通関手続きなどしながら、携帯エクスペリアで格安直前ホテルに接続し、機内に入ったところで、予約が完了するのである。何て便利な世の中になったものだ。(エクスペリアは会社支給。ゴメン、会社よ、私用に使ってもた)
思い出せば、一度だけ、学生時代マニラからのオープンチケットで、帰りに何度トライしても、満席だったことがある。結局学校が始まり、もうどう仕様もなくなり、他航空会社のチケットを買って帰ったことがあったなあ、それもエグゼクティブクラスしか空いてなくて、7万円ですとかいわれて、片道で結構ですというと、これ片道ですといわれて、5万円で買ったオープンの往復チケットの片道を諦めたことがあったが、あれから20年たっても、綱渡りみたいなことやってんだな、と粛々と思う機内なのであった。
ちなみに、最近、ローコストエアラインが日本にもぼちぼちでる。私は成田横田基地交換説を唱えていたが、これなら羽田は大手、成田はローコストエアライン空港にすればどうか。シンガポールなんかすごいよ、LLCのバジェットターミナル別にあるからね。そう思いつつ、眠りに入るのであった。一番後ろの真ん中席にて。
2009年秋EUA・オマーン・バーレーン旅行
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