スチュワデスが呆れたドクタートヒモイ公式げすとはうす ~世界は基本的に広い~んですけど・・

2011/03/18(金)23:20

気仙沼からせぬっち

 10数年ぶりに高校の同級生せぬっち(あ、本名出しちまった)に電話した。せぬっちは、高校陸上部長距離として共に走り続けるのボレロ仲間であった。せぬっちは、その後、子供の時の夢、水族館館長であったが、その夢を叶える為、北里大学水産学部に進学し、1年目は東京だったものの、2年目からは気仙郡三陸町キャンパスに移ったのであった。当時、東京から交通手段を使っても日本で一番時間のかかる大学と彼は豪語していた。  11日の夜、気仙沼が燃えていた。翌日、彼のことを思い出し、友達とか大丈夫だったのか、連絡してみたものの、20年もたつと、大学時代の友達の消息は元々分からない状態であり、それより、今現在の職業である水産関係の仲間がどうなったのか、愕然としており、今日はまったく魚が東北から当たり前だけど入ってこなかったどころか、どの会社に連絡してもつながらないということであった。  学生当時、生徒は皆知り合いで、彼だけが車を持っておらず、適当な時間に家を出ると必ず誰かが拾ってくれるというシステムの下、3年間を過ごした。  働き出しても、水族館館長ではなく、水産会社に就職しつつも、三陸沖とは密接な関係を続けてきた。10数年前、ある程度の責任者となり、3交代で働いていたのだが、魚は生き物、交代期間中、寝ていようが休んでいようが、真夜中でも朝方でも部下から電話が入り、その魚買うかどうかどのくらい買うかの相談電話がバンバン入り、そのたびに、起きて指示していた。、24時間心休まるときがなく、睡眠も途切れ途切れ、このままでは、おまえ、死んでしまうぞと忠告した途端に、確かにもう限界だと会社を辞めた。  その後、バイトを乗り継ぎ、また水産関係の仕事をしている。しかし、就職は厳しく、もうあれから10年アルバイト生活である。あのとき辞めてしまったことが、今も響いている。  しかしこれでまた仕事がどうなることやら。

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る