スチュワデスが呆れたドクタートヒモイ公式げすとはうす ~世界は基本的に広い~んですけど・・

2020/11/13(金)17:38

精神世界と勧誘と

昔、三ノ宮ジュンク堂とか梅田紀伊国屋の精神世界宗教の書籍コーナーには張り紙がされていた。「ここで勧誘活動をしないで下さい」と。勿論私は勧誘活動を本屋でされたのは、せいぜい、店が正式に雇っている英会話かんかぐらいで、私を勧誘しても三文の徳にもならないので損得勘定をすると、勧誘員の甘い美人の女性もまあ、時間の無駄であった。 路上の宗教の勧誘も、随分下火になってしまったのか、年を取ったから、こいつは洗脳しても駄目だワイと思われるようになったのか、声を掛けにくい悪い人相になったのかは分からない。でも昔は、もっと手かざしさせてください、って多くなかったかな。お、手かざししてくれや、って何十回もしてもらったが、何か変わりましたか?と質問されて、「(あなたパワーないから)鈍感なんで全く変わりませんでした」という残念なお知らせを彼ら彼女らに返答するのであった。 学生時代、瀬戸内海の無人島で、「ハッピーヒッピー無人島無為合宿」を終えた帰りに、神戸の三ノ宮で降りた。神戸祭りだったので、サンバで昨日の無人島炎の回りを勝手に発狂踊りパーティの続きしようかということで。  しかし、夕刻のためサンバも終了しており、我々は「こうなったら(何がこうなったらなのかは分らないが)道端で徹底的に飲もうぜえ」と三ノ宮駅前階段地べたに座り込み、ビールをしこたま買ってきて、酒盛りを始めた。似非浮浪者とは5パーセントも変わらなかった。まず、合宿中3日間風呂に入っていない(海水には入った)、電車賃以外は全てここで酒を買って現金はほぼなくなった。まあそのくらいだ。 まあ、そんなことはどうでもいいのだが、まずは警察が来た。祭りだから大目にみてもらった。こちらも祭りだから大目に見てもらおうという魂胆はあった。 「ゴミだけはちゃんと片付けていってくれよ」と一銭ポリから懇願された。 次に純粋な浮浪者が来たので、酒を渡した。何も言わずに去っていった。礼儀がなっとらん! もはや、来る人は居なかった。  仕方ないので、こちらからキャッチすることにした。 「よっしゃ、まっとれ」と私は皆に言い、キャッチをして数分後戻ってきた。 「さて、街中でよく勧誘したり、手かざしさしてくださいという○慈○明会の人を連れてきたよ」(ちょっとかわいそうかな彼一人。こっち数人でおまけに酔っ払いだから)  我々は、彼に酔っ払いの勢いも手伝い、ざっくばらんすぎるいろんな質問を彼にした。 「今まで何度か手かざししてもらったけど、何にも変わらない、どういうこっちゃ」という事に対しては、「私の力がまだまだ足りません」というようなニュアンスで力弱く笑う。 「食べるものは添加物だらけで、体に悪いことぐらい分るけど、何で浄化したら良くなるねん」ということに対しては「何でもです」 「1日何人勧誘するノルマがあるの?」に対しては、「ンモゴモゴモゴ」 結論的に言えば、彼は、親が信者なので自分もやっている、はっきりいって詳しい教義とかを体系的に捉えていないつまりよく分っていないということが、分った。 もういいよ。もういい、帰れ。 我々は更に酒を飲み、遠い遠い地下のトイレまで何度も足を運び、そして後片付けをちゃんとして、良い子なので帰った。 まあそういうこともあったのだが、何故か卍を思い出し、卍、マジ、ハーケンクロイツ逆卍だったよな、ということを思い出し、何故これを採用したのか、諸説あるなかで、20世紀最大の神秘思想家といわれるグルジェフのことを思い出したからだ。メルクマール出版なんかを通して、昔はグルジェフとかクリシュナムルティとかバグアンとかついつい読んでしまったなあ、読んで、分かるけど、やっぱ、分からないよなあ、という感じではあったものの、分からないままに、次の本、次の本という具合になっていった時代も、まあ、結局は暇な20代。ロシア人(アルメニア人)グルジェフが何故かチベットダライラマの使者としてヒトラーと面談し(いやしてないのか)、逆卍を授けたとか(ちょと記憶が曖昧)。間にグルジェフに傾倒した誰かがいたかも。 そういえば、昔、弘前市で卍をうっかり逆に作成して、マンホールとかに刻印してて誰も気がつかず、訪れたドイツ人が見てびっくら行天事件というのがありましたな。 考えたら、学生時代の知り合い以外にグルジェフやクリシュナムルティやバグアンの話をしたことがないよなあ。働いたら毎日、気持ちが忙しいからなあ、というか、社内で政治、宗教、アングラ、の話はしないし、まあ、趣味きかれても、馬鹿と思われるから、曖昧なことしか言わないものなあ。金持ちやなあ~ではなく何に情熱を傾けているかである。普段の貧しい食生活、冬は家ではコート、夏は単純に素っ裸で光熱費をケチる、いやケチっているつもりはなく、衣食住は、常に足りているやん。ということである。毎日贅沢しているわけではないのである。自分の中だけの流行もあるのである、仕事終りに韓国飯食いに行くブームは数年で終ったのである。ブームは去るのである、100カ国超えたら、急に次に行くところを考えるのが面倒になってきたのである。行ける所は、いっとこか、とは思うものの・・・寝るか。。。答えをいつも外に求めても無駄だ、インスタントな答えなんかが書物にあるわけがない、なんかそんなフレーズをちょとだけ思い出しながら。 最近誰からもすっかり誘われない・・・チッ。

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