スチュワデスが呆れたドクタートヒモイ公式げすとはうす ~世界は基本的に広い~んですけど・・

2022/09/15(木)17:37

デリーはどうですか 30年前

コンノートプレースから、2,3キロ駅に向かって、幹線道路沿いを何故か歩く。 インドは州ごとの集まりなので、インド一周したらヨーロッパ一周した気分になるが、インドってなんだっけな。割と忘れたのだが、所謂、こんなことがある。 帰りはニューデリー駅沿いにコンノートルレースに向かって歩く。ああ、多分、ここを昔リキシャ―で往復していたんだったかもなあ。 30年前早朝、インドのオールドデリー駅を出ると、予定通り、駅前にたむろするリキシャーワーラー(人力車夫)が数人寄ってきた。外国人は外国人価格があるのも仕方のない。皆、結託談合して一律価格を口々に叫ぶのも、まあ、しようがない。 その中で、一人高杉晋作似の若者が、ウインクし、ガムチャ(万能布)をフラリと肩に回した。皆の言値より一ルピー安く行くことをいとも簡単に承諾した。同業者の揶揄には、余裕の照れる様な笑顔で半分無視するのが印象的であった。明日のジョーの力石徹の様に目をつぶって口の両脇だけが上に上がった。ガムチャでサドルを拭き、「人の心をちょいっと揺さ振るコツは知ってるぜ」という様な顔をして、ペダルを漕ぎ始めた。四キロ離れたニューデリー駅で、私は交渉値に二ルピーをプラスして渡した。彼は「してやったり」とした笑顔で、お金を持った手を上に挙げた。 列車は行き先によって、出発駅が違う。大都市では外国人は専用事務所で切符を取ることができるのだが、この時は、少しでも同化してやる、といった浅はかな意地を持ってして、列に並んだ。 一時間並び、順番が回ってくる。「今日は満員で無理だな。あの列に並びなさい」 あの列に並んで、約一時間。「そっち行きの切符は売ってない」 「仕方ない、長距離バスで行くか」妙にあっさり引き下がった私は地図を頼りにバススタンドを目指した。が、道に迷い、二時間後、何故かオールドデリー駅前に来てしまい、早朝の振り出しに戻る。今度はオートリキシャー(三輪バイクのタクシー)で行くことにしたが、途中、交渉値と違うことをいいだし、喧嘩を始め、途中で降りて、そこまでの料金払う払わないで三十分間、言い合いをする。はっきりいってかなり疲労度が高まってきていた。どこで降りたか分からないが、見渡すと銀行を見つけ、そろそろ両替しなければならないことを思い出し、銀行に入る。 こちらの銀行員は横柄な方を多数見かけるのだが、彼も例には漏れていなかったようだった。「現金は駄目駄目。トラベラーズチェックだけしか受け付けないけんね」といい、「おい、机の上にバナナを置くな」と注意され、「パスポート」と仏頂面で怒鳴られ、パスポートに挟んであった使用済み航空券の裏の広告をしげしげと眺め、「おい、この電気剃刀はいくらぐらいするのだ。おまえは持っていないのか」と質問され、「ところで、インドはいい国だろう。我々は何でも持っている。映画製作本数世界一だ。それに…」とお国自慢が始まった。「そうね。原爆だって持ってるもんね」と皮肉のひとつでもいってみたが、「そうだ」と逆に自慢され、オンステージを引き伸ばす結果に終わってしまっただけだった。結局、百ドル両替するのに一時間を要したのであった。 そこからリキシャーに乗り(これは無事に)、バスステーションまで辿り着き、ラジャスタン州ジャイプル行きの窓口を見つけ出して切符を買おうとしたが、「うーん。その切符の販売は二時間後だからね」と優しくいわれ、その近くのベンチにへなへな座り込む。バスのクラクションがキチガイの様に、常に同時に鳴り響いていて、こちらも気が狂いそうになる。靴磨きセットを担いだ子供が何人か、お客を探してうろうろしている。そのうちのひとりが、新聞を読んでいた隣のおっさんの靴を勝手に磨き出した。おっさんは特に怒る様子もなかったが、一度も子供に視線をやらず、新聞を読み続けたままポケットから一ルピーを出して、子供の足元に落とした。次に子供は、私の足元を見たが、表情を変えず、また次の客を探して歩き始めた。私は、草履だった。 二時間が経過し、窓口に行くと、担当が変わり「何だ。その切符は売ってないぞ」といわれる。デリーに着いてから八時間が経過していた。もう、笑うしかなかった。そして数秒は笑ってみたが、この状況を打破すべく、私は窓口で大きく宣言した。 「ジャイプール行、スーパーデラックスシート一番高い奴、一枚」 切符は難なくとれ、一時間後、指定された番線に行き、バスに乗り、余裕のまま、念のため、隣のインテリ風おじさんに切符を見せて確認すると、インテリ風おじさんは驚愕し、「これは違うバスだ」と大声で叫び、バス中が愕然となり、バス内の有志数人がバスを手分けして、手分けして探し始めてくれた。 バスはあった。私は何度もお礼をいい、バスに乗り込んで、一分少々でバスは出発した。車内では、一人の女性を兄弟で奪い合うといった内容の踊りアクションありのインド映画が上映された。「インド映画は世界一面白い」といった銀行員の顔を思い出し、「私は貧しいインド人達に、束の間でも夢を与え続けているのよ」といったインドの名女優スリデビのことばを思い出していた。 ピンクシティと呼ばれるジャイプルには夜遅く到着した。 そういえば、インド大道商人(山田和)の本、家のどっかにあると思うのだが、あれは面白図鑑であった。 インドへ1。 インドへ2。 うんコ詐欺に会いにインドへ。 インドgourmet drinkの旅。 デリー観光シャルダーム寺院。 30年前のデリー。 パハールガンジ、ニューデリー駅前。 デリーから帰国に向かう朝。 バンコクトランジット。

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