スチュワデスが呆れたドクタートヒモイ公式げすとはうす ~世界は基本的に広い~んですけど・・

2022/08/21(日)16:35

札幌 狸に化かされるか

1月10日、何気なく、携帯電話のニュースサイトを見ていて、神戸新聞のニュースサイト登録しませんか、というのが表示されていて(前からだけど)、じゃあ、読んでみるかと、登録したら、いきなり、大先輩である東野さんの死亡記事であった。1月6日に亡くなったようだが、たまたま展覧会のことを1月5日に母がファクスくれていた。東野さんは日本のインドのポトゥワの吟遊詩人で、よくかわいがってもらったんだよなあ。昔は成田闘争に明け暮れ、あれはいつだったかなあ、1990年代終わり、ポトワの村にいるよということで、私はインドに行ったなあ。それからその村の、アーチストたちを日本に呼んで日本中を巡って、私もちょっと参加してみたりなんかしたなあ。病床についていて、昨年、インド行きますよ、ちょとだけね、ということを告げたら、君も懲りないなあ、苦笑いしていたみたいだ。最後の展覧会になるとは知らず、海外に居たので迂闊にも欠席したんだよなあ。 たまたま、オカンが昔展覧会に顔を出して、「え、トイモイ君のお母さんですか!彼今、台湾にいっているらしいですね」と言い、オカンから「あんた、台湾行ってたの?」と後日言われたのであった。あれは2000年代前半の話だったと思う。 お悔み申し上げますであり、最後になるとは全く思ってなかったので、顔出せば、と後悔している。 東野さんの師匠の話。 東野さんの師匠が死ぬことになった。変な表現かもしれないが、最期に近いことを予感できる人もいる。 大きな木の下で師匠はころがっていた。そこにあった。土まみれで自然に還って行く無駄のない肉体があった。それは大木が地表に出た根っこの一つの様であった。彼は死ぬ3時間前に簡素な言葉で遺言を残したという。「私は死ぬ。葬儀は簡素に。葬儀に借金なんかはするな。でも葬儀方法は妻のやりたいことを最優先させてやってくれ」そういって彼は戻っていったそうである。 私は、最後に近い一枚の写真を見せてもらった。亡骸の前に、連れ添って生きてきた妻は、音楽を奏でながら踊るように見えたという。ヒンドゥには墓がないと思っていたが、埋められた所に石を置く。日本でいう墓の概念とは違うのだろうか。「この抜け殻である肉体は土でさらし、雨に打たせよ」という台詞が似合いそうな気がした。なんてダンディなんだ。「ダンディズムとはデカダンスにおける最後の英雄的光景だ」とボードレールは語った。生きざま、そしてそれ以上に、死にざまを感じさせてくれる者は、明白にいうとダンディだと思う。そう思った。 ご冥福をお祈りします。 狸小路を意味なく歩く。 全然関係ないけど、1月14日、 1月7日夜未明に韓国の夜道で足を挫き、なんとかひょこひょこ歩きながら日本に翌日帰ってきたのであるが、翌日1月9日もひょこひょこの状態であり、歩きにくいやないか、いてえよ、の状態であったが、何故かその日の23時頃までひょこひょこびっこひいてたのに、24時に急に普通に歩き出せた。 そんな訳で会社では「痛風でなくて捻挫です」という意味なき言い訳を10回以上繰り返さなければならない、という危機が回避されたのである。何故、捻挫が急に治ったのか分からない。まあ、急にといっても95パーセントぐらいで、びっことはきがつかれないぐらいに回復である。 去年日本を訪れた外国人は2403万人、それまで最高だった一昨年の1973万人を大幅に超えている。さすがに、大阪でも去年は、一昨年よりさらにアジア系を中心に見受けられたと記憶する。 ついに、何度も何度も延び延びになった桃園空港から台北駅のメトロ、旧正月に向けて開通か。 7丁目は急に寂れるが、店に味が出る。7丁目だけ何故かアーケードの電気切れている。下町をアピールなのか。でもここが真髄である。 それにしてもアジア人(台湾人)多く、それも重装備である。日本寒いよ情報、なのか。寒さが嬉しくてやってきている面があるからね。 こいつは狸じゃねえな。 2016.12札幌  札幌 空港温泉。 札幌 大麻。 札幌 ご案内。 札幌 狸。

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