2024/06/25(火)21:06
多良間ふるさと民族博物館から宮古市の森へ 2021.03宮古島多良間島
探している。サキシマスオウノキの木なら知っているが、スキシマスジオか。似てるやんてか、お前、木やろ、と展示物の前で呟いてしまった。よくみたらちゃうやん。トイヤーズキ、そりゃ、マンダリンか。
メクラヘビ、差別だ~!か、今時の時代。差別意識なんかないと思うけど。目の不自由な人、耳の不自由な人、顔の不自由な人、いろいろおるけど。
多良間ふるさと民族博物館に来たんよ、多分昼間の14時半頃、今日初めての来館者というほど、混んでいた。受付の人は急いで、電気をつけた。記帳すると、苗字名前を確認された。それは、多分、興味本位でしかなかった。字が汚くてすみませんと私は謝り、そうだけど、神戸から来たことには言及せず。まさかの沖縄の一地方かと思われたのかも。前日以前、沖縄のひとバッカやったからねえ。
ドルやったもんねえ。
おー、いいねえ。タトゥ。
フジテレビ、免許はく奪じゃないの?あ、大臣がそうじゃないって。あ、じゃあ、NHK見まくって払わなくてもいいってことにつながるよー。
法螺貝がドリンクコップ、いいねえ。
霊柩車導入まではこれだった、って、このような人口の少ない島では、お亡くなりになったらどうするんだろうか。
シャコガイに足挟まれて、満潮になりだしたら、いやだなア。怖いわ。エレベーターもかごは絶対落ちないようになっているけど、そんな気分やわ。実際エスカレーターや徒歩で階段使う方が事故率高いからねえ。いったい、どうやたら、シャコガイに挟まれるねん。
宮古市の森、え、宮古島市ではない?ないです。ずっと気が付かなかったわ。
宮古市の森。
ボートは命日に流れてきた。
漂着した。
安政六年(西暦一八五九)一月南部宮古の帆船善宝丸。江戸交易の帰途、暴風雨に遭う。水夫七名七十余日生死の間をさまよいこの地に漂着。救いを求む。多良間島民よく奔走してこれを庇護し、もって全員恙なく帰郷するを得たり、以来百十余年宮古市民深くこれを謝し胸に刻む。ここに語り継ぐべき有縁を記し友愛を込めて一碑を建て、永久に記念するものなり。
安政の時代(1859)7人が岩手県宮古市を出帆した。江戸、浦賀経由でそのあと遭難。2週間ぐらいで到着したのが多良間高穴海岸。善兵衛ら一行は多良間の島の人びとから手厚いもてなしをなされます。食料や衣装の提供を受け、体力の回復をはかり、53日間にわたって多良間島に滞在した。1年余年(10月8日)ぶりに岩手県宮古市へと全員が帰郷を果たす。
まあ、縁となって宮古郡多良間村と岩手県宮古市は姉妹都市を結んだってことー。
でもこの海岸結構面白くて、これから空港行って自宅に帰るんだけど、ああ、ここ寄ってよかったなアと思った瞬間であった。