私の考え方のひとつに、
「この人は私と組む事に、どういうメリットを感じているのだろうか?」
「私はこの人に、どういうメリットを享受させる事ができるだろうか?」
というのがある。
先日「信用できる」と言ってもらえた事があって、それは逆に信用しているから、信用されているんだろうなと思った。
私は、人を「信用していない」…ちょっと矛盾しているのかもしれない。でも「信頼はする」。
信用していないのは、多分、システムエンジニアの経験がそうさせているのかもしれないが、人はミスをする。苦渋の選択を迫られる事もある。あるいは期待値に答えられない。などなどで、裏切られる事がある。もちろん、意図的に裏切る事もあるが、そうでなく、意図しないで裏切ってしまう事があるだろうから、人は信用できないという結論になる。
でも、信頼するは、その裏切りを許容する事を含んでる。
だから多分、私の定義上では「信頼されている」「信頼している」が正解だと思う。
まぁ、信頼されるに足りる人間という評価なんだろうと思う。それはきっと、それまで色々なメリットを享受できた結果だと思っている。
誰と組みかという話で、組んだ相手によって、悪い結果を生むケースもある。
あるべき姿があって、それを追いかけるのに、組む相手を間違えて、到達しなかった。
信頼すべきはもっと別の人だったんじゃないか、でもその選択の機会を自ら捨ててしまう。
まぁなんらかの事情や感情によって、そうしてしまう事もある。
組む相手が違ってれば、違う結果になってて、いい形になってただろうなぁと思う事がある。
それほど、組む相手を選ぶ事、信頼できる相手を選ぶ事は大事だと思う。
でも、時々
なんでこの人は私と組んでるんだろう?この人にとってメリットがあるのかな?
とか、
この人に私はどんなメリットを享受させられるのだろうか?
とか、
思う事がある。
時には、メリットがないやろう?とか、享受させられないんじゃないか、とか思う事も多々ある。
えてして、そういう人に限って、私の方はメリットが多かったりして、感謝の思いで溢れている。
先輩から受けた恩は、先輩に直接返すのではなく、後輩に返せ。
なんて、教えられた事がある。誰だったかな?そうして、長く絆や伝統が続いていくものだと。
ただ、近年はその部分が、疎かになってるように思えて、残念ではあるが。
だから、その人といるメリットは、別に人に享受し返せばいい、とも思う事がある。
同時に、多分、何らかのメリットがあるから、組んでるんだね、とも思っている。
まぁ私も自覚している得意分野ってのがあるし、自覚していない人からの評価ってのもあるらしい。
とはいえ、そういうのにおごらず、常に組んでくれる人、頼ってくれる人には、感謝しつづけていきたいと思う。
ところで、
なんで私と組んでるの?