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時事ネタ&流行モノ

2021.05.09
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昨日だったかな?たまたま見たツィートで、日本経済の未来について、二つの異なる見方があった。

ひとつは、デジタル社会での生き残りについて、もうひとつはハードウエアについて。

デジタル社会での生き残りは、世界を席巻するこれからの企業のことで、GAFAやステラなどデジタル社会の先頭を行ってる企業がずらり並んでいた。そんな中でビジネスとして必要なスキルの話も載っていた。詳細を読んだわけではなく、つまみ読みしただけであるが、それでも十分想像できて、現実味が高い話だった。

一方、もうひとつはハードウエアな話。こちらは日本の製造業は廃れたのかというテーマだった。
たしかに、自動車も脱炭素化推進の世の中で生き残ることができるかという問題や、かつて日本の支えた鉄鋼業や半導体も世界から後塵を拝している。ジャパンアズナンバーワンは今いずこという感じだと思う。

が、しかし、ところがどっこい?!

そのデジタル社会を支えるハードウエアの、特に半導体を作る基盤であったり、先日話題になった洗浄用の薬品だったり、そういった部分については、日本は世界を席巻しているらしい。しかも、これらはソフトウエアのように簡単にはコピーすることができず、どうしてもアナログな職人技が必要とされる分野ばかりだということ。

日本が、これらの分野で生産性が落ちたとすると、世界経済はかなりダメージを食らうことになるらしく、かといって代替品や自分たちで作るようなこともカンタンにはできず、日本頼りな部分が大きいらしい。

まだまだ、日本の産業、特に製造業は捨てたものではない。

だから、デジタル社会に備えることも大切だが、町工場も大切にしないといけない。
リモートワークが進まないのは、リモートワークでは解決しない世界を支える産業が日本にあるからだと思う。







Last updated  2021.05.09 14:10:20
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2020.05.04

BSで目的地がグラバー園の路線バスの旅をやっていたが、

​実は昨年に長崎2泊旅をしていた。一泊目は長崎市内だったんだけど、二泊目を島原にするか佐世保方面にするかで悩んで、佐世保の先、九十九島にした。実は”つくもしま”だと思っていたが、くじゅうくしまというらしい。たしか象潟(山形県)にもあったような…。

実はこの時期、島原の乱をテーマにした舞台に出演が、旅行の予約をした後に決まり、しかも舞台が原城だったので、島原だったかな…なんて思っていた。でも九十九島から平戸島へ足を延ばし、隠れキリシタンの記念館とかも寄ったので良しとした。もっとも長崎市内の出島で島原の乱の事が沢山載っていたので、いい予習にはなった。

で、実はこの旅行で後悔した事があって…

帰ってしばらくしてから気が付いたのだが、長崎といえば、中谷美紀さん主演の
7月24日通りのクリスマス
のロケ地だった​事を。

しかも、”市民会館電停”(市電の駅)までオランダ坂から歩いたというのに…!


この付近の写真は撮ってなかったんだよな…。

眼鏡橋では、ちゃんとハートの石垣を情報なしでヒットしたというのに…。
伊佐山の中腹から日本三大夜景を見たというのに…。

因みに映画は自体は、まだ見たことがない。←あかんやん!

今年の7月24日は、東京五輪開会式…だったはず。

とりあえずこの日は、7月24日通りのクリスマス を観ようかと思う







Last updated  2020.05.04 20:28:04
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2020.03.29

​私の考え方のひとつに、
「この人は私と組む事に、どういうメリットを感じているのだろうか?」
​「私はこの人に、どういうメリットを享受させる事ができるだろうか?」​
というのがある。

先日「信用できる」と言ってもらえた事があって、それは逆に信用しているから、信用されているんだろうなと思った。

私は、人を「信用していない」…ちょっと矛盾しているのかもしれない。でも「信頼はする」。

信用していないのは、多分、システムエンジニアの経験がそうさせているのかもしれないが、人はミスをする。苦渋の選択を迫られる事もある。あるいは期待値に答えられない。などなどで、裏切られる事がある。もちろん、意図的に裏切る事もあるが、そうでなく、意図しないで裏切ってしまう事があるだろうから、人は信用できないという結論になる。

でも、信頼するは、その裏切りを許容する事を含んでる。
だから多分、私の定義上では「信頼されている」「信頼している」が正解だと思う。

まぁ、信頼されるに足りる人間という評価なんだろうと思う。それはきっと、それまで色々なメリットを享受できた結果だと思っている。


誰と組みかという話で、組んだ相手によって、悪い結果を生むケースもある。
あるべき姿があって、それを追いかけるのに、組む相手を間違えて、到達しなかった。
信頼すべきはもっと別の人だったんじゃないか、でもその選択の機会を自ら捨ててしまう。
まぁなんらかの事情や感情によって、そうしてしまう事もある。
組む相手が違ってれば、違う結果になってて、いい形になってただろうなぁと思う事がある。

それほど、組む相手を選ぶ事、信頼できる相手を選ぶ事は大事だと思う。

でも、時々
なんでこの人は私と組んでるんだろう?この人にとってメリットがあるのかな?
とか、
この人に私はどんなメリットを享受させられるのだろうか?

とか、
思う事がある。

時には、メリットがないやろう?とか、享受させられないんじゃないか、とか思う事も多々ある。
えてして、そういう人に限って、私の方はメリットが多かったりして、感謝の思いで溢れている。

先輩から受けた恩は、先輩に直接返すのではなく、後輩に返せ。

なんて、教えられた事がある。誰だったかな?そうして、長く絆や伝統が続いていくものだと。
ただ、近年はその部分が、疎かになってるように思えて、残念ではあるが。

だから、その人といるメリットは、別に人に享受し返せばいい、とも思う事がある。
同時に、多分、何らかのメリットがあるから、組んでるんだね、とも思っている。

まぁ私も自覚している得意分野ってのがあるし、自覚していない人からの評価ってのもあるらしい。

とはいえ、そういうのにおごらず、常に組んでくれる人、頼ってくれる人には、感謝しつづけていきたいと思う。

ところで、
なんで私と組んでるの?







Last updated  2020.03.29 05:39:58
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2020.02.25

私がカレー好きってのは、ご存じの方も多いと思いますが、
それが高じて優待狙いで「壱番屋」(CoCo壱)の株主になっています。たしか2002年から。
当時(今でも)は、月2~3回ココイチに行ってたので、優待はすぐに使い切りました。

ココイチは時々、季節モノやローカルモノのカレーが食える時があります。
もつ煮カレーとかグリーンカレーとか好きだった。
あっ、定番は海老煮込みですかね。2辛あたりが多いかな。

因みに家の近くのココイチは、日替わりカレーがあって、特に金曜日がホウレンソウ・海老煮込み・スクランブルエッグのミックスなので、これに冬は2個牡蠣を入れます。客単価高め…(笑)

ココイチ以外で行くカレー店は、
・アルプス(八重洲):ここはタイムサービス狙いで300円でカレーが食えるので、よく行きます。
・C&C:昔は1食ごとにサービス券がもらえて10枚で1食無料だった。まぁ最近はJAFサービスもイマイチに。でも味は嫌いじゃありません。

・中村屋(新宿):高級カレーですが、それだけ高級感があるカレー。ここのマンゴチャツネとアグレッティは持ち帰りするほど好き。
・インドの隣(たまプラーザ):ここもたまに行きます。たまに食いたくなるカレー。焼飯カレーという変な(嫌いじゃないけど)カレーがあります。
・RIO(横浜):ここの激辛カレーはめちゃ好き。最近横浜に行かないので、川崎あたりに出店しないかなぁ。激辛じゃなくて中辛でも十二分に堪能できます。
・ピヨ(川崎):ここのマレーシアカレーは辛いけれど、好き。それ以外のメニューはイマイチ…。
・ジャンカレー(湯島):ボリュームがちょっとあるけれど、好きなカレーです。
・ピッコロ(梅田):昔は並んでたけれど、カウンターの狭い所で食う。
・自由軒(新橋):本店が千日前。ドライカレーが旨い。
・モンスナック(新宿):紀伊國屋の地下にあるスープカレーの店。カレーはここでは飲み物です。
・東海大学8号館学食:ここのカンボジアカレー(だったっけ)は辛いけれど、嫌いじゃない。ただ午後の講義がちょっと(笑)
・JR藤沢駅構内:スタンドだけど好きなカレー。そして安価。
・華麗屋(白岡):もう25年も前かな。加須にテニスに行った帰りに食ってたカレー。辛さ選択できるが、5辛と1辛を交互に食べるとめちゃうまー。

あと川崎駅近くにあったインドカレーの店も好きだったなぁ。

最近は、数が減ったけれど、多い時は週5回食ってた事もある。

あぁ、カレーが食いたい。誰か私を横浜駅に連れてって!!!RIOがご無沙汰だから!







Last updated  2020.02.25 21:52:43
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2020.01.17

1994年12月1日から1995年2月28日まで、
私の履歴書のその部分には、”無職”になっています。当時は、バブル経済がはじけて不況の波が押し寄せてくる頃だったが、3か月以内に再就職できると思っていたので、ハローワークにもいかず、新聞や専門誌などの求人募集だけで勝負をしていた。当時は横浜の横横の日野ICの近くに住んでいた。(実はサリン事件などで世間を騒がせたオウム真理教が行った坂本堤さん殺害事件の舞台になった洋光台の近く)

1995年1月16日午後11時頃、翌日の面接に備えて早めに就寝した。毎朝テレビを見ながらだらだらするのが習慣になりつつあったので、翌朝はテレビを見ないでばしっと一日を始めようと思って。

そして17日、テレビを見ないで面接先に向かった。洋光台の駅に「京都~姫路間の新幹線運休中」の張り紙を見て、以前にあったパンタグラフのトラブルで架線でも切れたかと思っていた。

阪神淡路大震災の事を知ったのは、面接先だった。

当時はまだ携帯電話を持っていなかったので、帰宅して大阪の実家に電話した。両親をはじめ親族全員は無事だったようだ。それまで経験した事のない揺れを感じ、飛び起きたとの事。その後、大阪の友達などなどに連絡を入れたが、とりあえず無事との事だった。当時、京都や奈良、和歌山には知り合いはいたが神戸方面は誰もいなかった(厳密には西明石あたりに居たが疎遠になっていて連絡が取れなかった)。

テレビで映し出される火災の映像よりも、芦屋付近でぶっ倒れている阪神高速にショックを受けたのを覚えている。神戸西宮線(今は3号神戸線)は、遊びに行くのによく利用していた。その下の国道43号線も使う事があった。そんな思い出の場所が無残な姿に…。

その年の9月、オリックスブルーウェーブが優勝争いをしている神戸の街を訪れた。滞在中に優勝できなかったが、その後西武球場で優勝したのだっけ?
ただ、三宮が埃っぽかった印象があった。壊れたままの箇所があったり、復興へ向けた工事を行ってたりという事情があったのかもしれない。通行止めもいくつかあった。

数年後、ある花見の席で、ボランティアで現地入りしていた人の話を聞く機会があった。火事場泥棒的な話とかが横行していたらしく、何件かをそういうのを阻止したらしい。

あれから25年、街はすっかり復興し、平松愛理さんは新しい「部屋とYシャツと私」を出し、ヴィッセル神戸は天皇杯を制覇した。それでも癒えない傷があることを、忘れてはならないと思う。

最後にひとつだけ雑学を…

水道のレバー式の蛇口、それまで上から下にすると水が出たのを、この震災をきっかけに、下から上に引き上げるようになった。あと、ガスメータの非常停止の仕組みも震災きっかけだったと思う。

次の25年に向けて…、災害に負けない自分たちになっていきたいと思います。

25年前の阪神淡路大震災に向けて…







Last updated  2020.01.17 23:03:10
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2019.07.18

人間は失敗する、恥をかく。それが何だ!それは人間の特権だ!


各業界にたくさんいる成功者は、そのすべてが順調に進んでいたわけでない。いろんな失敗をして、その失敗の欠片を拾って、成功への道を手繰り寄せてきた。

私は性格的に負けず嫌いで、「負けないためには勝ちにいかない」という考え方をし勝ちな所があり、負けはしないが、勝ちにいかないから、結局負けることになっている。

本当はいろんなことにトライしエラーを繰り返せば、もうちょっと人間的にも技術的にも成長できたのではないかと思うことがあって、でもそれでもここまで生きてきたのは、いくつかの失敗をして、それを糧にしてきたからだと思う。

私の好きな鹿島ネタでいうと、20冠の裏には、同じぐらいの負けがあったから、たどり着けた。

去年、やっと取れたACLも、ベスト16の大きな壁に何度も越えられなかった。
96年のリーグ初優勝も93年のチャンピオンシップの悔しさがあった。
2000年の三冠は、97年のリーグ、99年のナビスコでの敗戦があったから。

表には出さない成功者の後ろには、失敗の山があり、それを糧にしてきた。

これからも、失敗をするだろう。そのたびにその欠片を拾い、次こそ勝つための何かを、つかんで挑んで生きたい。

人間って、もっとええもんやぞ!…男女七人夏物語







Last updated  2019.07.18 21:35:13
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2019.06.27

高校野球の球数制限について、有識者や高校球児などから広く意見を聞いているらしい。
色々な立場からさまざまか意見があって、どれもこれも正解だと思う。
FB等で私は、大昔(戦前だったと思う)に毎日新聞だったと思うが、野球を7回制にすれば時短になっていいのではという提案があった事を書いた。これについては、サッカーをよく観る私からすれば、野球はすごく時間が長くてだらだらしている印象があったので、そういうのもアリかなと思っている。

バスケットボールがよりスピーディに試合展開ができるように、大胆なルール変更をした歴史があって、バレーボールも得点のカウントが昔を大幅に変わっている。サッカーやラグビーはバスケやバレーほどの変更はないけれど、やはりルール変更を繰り返している。
では野球はどうだろう?コリジョンや申告敬遠、リクエストなどのルール変更はされているけれど(実はどれも好きな変更ではない)、今回の問題には関係ないものばかりである。
大リーグでは、イニング間の投球練習の禁止や、WBCの球数制限などがあって、投手の健康面の保護(のつもり)策がとられている。日本ではまだ導入されていないが、検討はされているようだ。

でも、本当にそれでいいのだろうか?とも疑問が残る。

高校野球の大会のレギュレーションを変えるというのはどうだろうか?たとえば、夏の大会とか春の大会とかというのを取り払い。カテゴリー分けを行って、リーグ戦方式にする。甲子園のようなドラマ性は失われるかもしれないが、それぞれの力量に合わせた試合が複数回実施される点は良いとメリットがあると思う。練習ばかりではなくて、試合できる環境を増やす。一見、球数制限問題と逆行しているかもしれないけれど、その部分は1試合単位ではなく、期間単位で制限を加えるという考えで進めばいいと思う。あとは、試合ごとに大会主催者管轄の医療メンバーが試合翌日にメディカルチェックをする。

トーナメント方式がダメとは言わないけれど、野球に触れ合う機会と球数制限の問題の2つの視点で考えるとリーグ戦方式とカテゴリー分けでやるのが合理的だと思う。まっサッカー的な考え方で野球にはそぐわない部分があるかもしれないが、ひとつの意見として見ていただけるとありがたい。







Last updated  2019.06.27 20:47:51
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2019.05.06

私は10連休ではなく2日ほど出先で仕事をし、1日ほど自宅に篭って作業をしていた。とはいえ、まったく影響を受けていないかというとそうでもなく、例えば、後半は風邪を引いたが医者が休みで休日診療ぐらいしかなく、振込みや引落としも一気に準備をしざるえず(しかも年間契約の引落としがあるため高額になる)、結構めんどくさい事ばかりだった。


10連休を素直に取れた人はどうなんだろうか?製造業の場合、機械運転の関係で、GWは長期休暇になるところが多いからある程度の準備ができるだろうが、金融機関や、生鮮食料品関係は結構タイトだったように聞いている。

連休が書き入れ時の飲食店や観光業の場合は、歓迎している部分もあるかもしれないが、京都の某所のように日常生活に影響ができるような所もあるらしく、つくづく日本人は欧米人と比べて長期バカンスの活用の仕方がうまくないなぁと思う。

そもそも、製造業はともかくとして、それ以外のところは、一斉に休む必要はないと思う。特に金融業は、休みにしなくちゃならない理由はないので、祝日等は営業し、土日と年末年始だけを休みにすればいいのではないかと思う。但し、システムテストの事を考えると、5連休ぐらいは必要なのかもしれない。東証証券取引所なんて、毎週末、テストをしているみたいなので…。

そんなわけで、10連休おつかれさまでした。

8月には9連休があるそうです。これも私にとっては迷惑な話なんだけれどね(笑)







Last updated  2019.05.06 19:55:39
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2019.04.30

平成最後の日という事で、つれづれに色々語りたいと思います。

昭和62年3月31日(国鉄&電電公社&専売公社最後の日)に生活拠点を大阪から関東に移すことになった。そう、社会人生活はほとんど神奈川(一時期東京)で過ごしてきました。

社会人になって2年目に昭和か平成に変わりました。
当時はバブル経済の絶頂期で、日経平均の38,900円台で大納会を迎えたのを覚えています。当時はまだ土曜が半ドンでした。

昭和63年と平成元年の3月は、2年続けて税制改正対応で、今だったら超ブラックな残業をしていました。とはいえ当時は、まず仕事を完遂する事が大優先だったので(今でもそれは当たり前だと思うが)、それが常識だと思ってました。

そうそう、西葛西に引っ越したのは、昭和63年の秋だったと思います。だから、平成元年は東京都民江戸川区民だったのです。平成4年ぐらいまでだったか?そこから、洋光台に引っ越して一人暮らしを始めた。それまでは会社の寮だったので。


平成6年、10泊11日の旅行をしたなぁ。甲府・小淵沢・軽井沢・大阪・近江八幡・浜名湖。まぁよくもそんなあほなことができました。いまもあほなことをしているけれど。

平成7年かな?システムエンジニア職から営業職に転勤を命ぜられ、それがきっかけで転職することになった。そこからジプシーな生活をするようになった。

Jリーグがこのころから始まって、サッカーを見るようになったけれど、鹿島戦がなかなかとれず、しかもカシマスタジアムのチケットも他のクラブとは異なった販売方法だったので、なかなかとれず、アウェーか国立ばかりだった。最初にカシスタにいったのはサテライトの試合だったかな?マリノスの川口、うちのソガがGKやってた試合。あとはジーコの引退試合。


平成8年かな?今の川崎・鷺沼に引っ越してきたのは、だから人生において川崎に住んでいた期間が一番長くなった。来たころは幸区鹿島田…鹿島と縁があるのかな?

平成11年に病気になり、休業のち転職することになるが、実は当時は外資系保険会社に勤務していた。外資だから直属の上司は日本人だったが、その上は米国人なので、稟議書は英文で作成する必要があった。今みたいにグーグル先生はいなかったので、辞書とか調べて作成したなぁ。英語、苦手だったのに。

そうそう、携帯を持ち始めたのは平成8年だった。以前、会社でポケットベルを持たされてて、夜間バッチでトラブルがあった時に呼び出されて緊急対応とかしていた事があった。それまで待ち合わせは時間と場所をしっかり決めないとすれ違いになるという事があったが、携帯電話によって、そのすれ違いが減った。今じゃ、メールやメッセンジャーでOKだもんね。

2000年(平成13年)の正月は会社で迎えたなぁ。Y2K対応で、待機させられた。

平成13年といえば、3月21日の日経新聞にも載った証券トラブルがあって、対応に追われていた。その前日の夜中に、車で帰宅しようとしてたら、江戸橋ランプの近くにあった東洋経済(当時)のビルの横で電話で「明日、大変なことになる」という連絡を受けた。なので覚悟はしていた。このトラブル、大昔、先輩がやっていた連絡整理手法を真似て、メモを作って対応をした。部下に必要な項目を手書きし、それをフォーム化させた。トラブルの仕分けと進捗チェックに役立っただけでなく、問題点整理にも役立った。それで「スゲー人」と尊敬されたのを覚えている。「やるときはやってたんです!」

平成13年の夏に転職し、ネット専業証券で、システムエンジニアから営業職に異動になった。ネットなんで営業というよりは広報だったのだが、FPの仕事の礎になった。

FP(ファイナンシャルプランナー)との出会いも人生を大きく変えたなぁ。

金融系SEだったけれど、金融のこと判ってないかもと思って、FPを学び始めたのだが、まだ認知度が低かった時代に凄く魅力を感じたビジネスだった。今でこそFPは多少誤っている部分があるとはいえ、認知されているけれど、当時は大変だった。

平成15年からサラリーマンをやめて今のスタイルになった。当時はITコンサルタントの下請けの仕事が多く、合間合間で講師の仕事とかしていた。講師の仕事もこの頃から始めた。

その後、LLPを作ったり、NPOや社団に所属したり、とはいえ、実は営業活動らしい営業はほとんどせずに、平成の後半を過ごしてきた。

平成22年かな?なぜか役者をやるようになったのは。きっかけはあらびき団のロート製薬。こういうのをやってみたいと思ったのに、なぜかエキストラをやるようになった。

平成22年の冬にとあるワークショップに参加して、そこが今の活動の原点になったのかな?ミュージカル風の舞台が小劇場デビューだったなぁ。リフトをやったんだよ。まぁ奇跡だね。というかコツを教えてもらったら邯鄲だったんだけれどね。

ドナルド松山という名前が、なぜかe-ラーニングの会社にヒットしてしまい、冠講座をいくつか持つようになった。不思議だよね。もっとも平成9年から自分のホームページを持ってたから、これがいくつか仕事のオファーを受けるきっかけにもなっている。

サラリーマンを継続していた方が、生活面ではもっと充実していただろうと思うときがある。でもサラリーマンをやめた頃は、コンプライアンス意識が高まってきたと同時に、能力主義が進化していたので、厳しさをとおりこして理不尽な世界になっていたとも言われている。昨今のブラック企業の話を聞いていると、いいタイミングでやめたのかもしれない。

そんなわけで、言いたいことはまだまだあるが、纏まりがつかなくなりそうなので、この辺で。

世間では色々な思いがありそうだけれど、それなりに平成は昭和とは違った楽しさがあったと思う。

ありがとう平成、さようなら平成。

そして、

こんにちわ令和。よろしくね令和。







Last updated  2019.04.30 10:05:25
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2019.04.14

今日のワイドナショーで、フジテレブアナウンサーの久代さんがした質問「ホワイトホールは存在するのですか?」が素敵でかつ知的だなと思った。これは宇宙論に興味がないとなかなかできない質問で、本間先生も”まともな質問が来た”と思われたと思う。もっとも先生も学術的な質問は来ないだろうとは予想されていたと思うけれど、でもホワイトホールに関する質問の答えが「仮説に過ぎない」は研究者としての誇りを感じた。実際、仮説以上の発見などがされた訳ではないから、先生のおっしゃる事はもっともだと思う。久代さんはさらに質問をぶつけたかったようだが、そこがアナウンサーたる悲しさで、進行を優先させた。そういう振舞いもプロとして当然!なかなかこれは良かったと思う。

さて、ブラックホールが初めてその輪郭の撮影の成功した話は、ノーベル賞級の出来事だと言われています。実際、状況証拠はいくつか見つかっていて、例えば、光の進行が重力によって歪められる現象は、事実として存在しているし、ブラックホールが銀河の中心部にその存在が多い事も観測されている。そういう意味では、すでに存在しているものなんだけれど、それでも目に見える形にしたのは大いなる成果だと思う。

次のステップは動画撮影を目標にしたいとの事だけど、これがまた壮大すぎる夢だと思う。必要なのはすごい単位の時間と地球サイズの記録媒体!でも、アニメに出てくるようなシーンが見られるようになったらそれこそ、大成果だと思う。

さて、久代アナウンサーが質問したホワイトホールの話だが、仮説に過ぎないとされているのは、そもそもホワイトホール説の発端がブラックホールに吸収されたものは、どうなるかから始まっているからで、本間先生は「圧縮されてその先はわからない」とされている。だからブラックホールに吸収されたものがホワイトホールで放出されるという仮説が出てきたらしい。この仮説は、かなり発展していて、ビックバンと絡めていくと、私たちが今いる宇宙だけが唯一の宇宙ではなく、いくつものビックバンが発生し、いくつもの宇宙が存在するという仮説の中で、ビックバンそのものがホワイトホールではないかというものがある。圧縮したブラックホールが圧縮から開放するときにビックバンが起こる。それそのものがホワイトホールとする説。・・・これが正解だとすると観測することはほぼ不可能だと思う。・・・むむむ。

ホワイトホールに関する仮説にはもうひとつ。複数の宇宙はパイプのようなものでつながれていて、入り口がブラックホール、出口がホワイトホールというやつ。これが正解だとするならば、この宇宙のどこかにホワイトホールが存在し、観測することもできる事になる。う~む、この仮説はないか・・・というのは早計だと思う。なぜなら、宇宙にはなぞの天体がたくさんあるから。ひよっとしたらその中にホワイトホールがあるかもしんない。

そもそも、この宇宙の事も、なぞだらけな所が多々あり、宇宙が膨張しているという話も、事実として存在しつつも理解できない部分でもある。だから違う宇宙の話は、まだまだ先の研究テーマかもしれない。

とはいえ、アインシュタインの相対性理論は100年前に発表された話。仮説というのは、事実を見つける第一歩だから、侮ってはいけない。

次、生まれ変わったら、宇宙論にたずさわりたいなぁ。・・・というか人間に生まれるのか。

ホーキング氏がいう、死後の世界はない!・・・というのは、夢ばかり追いかけているんじゃねーという警告なのかもしれない。







Last updated  2019.04.14 16:36:57
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