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【週刊地震情報】2019.05.12 日向灘で地震相次ぐ
ウェザーニュース 5/12(日) 12:00配信 こんな記事が気になる・・・ 何事も起きなければ・・・と願うばかりである さて今日は『母の日』 朝 犬との公園散歩中に娘一家が部屋から見えたと 『とりあえず母』に好物の贈り物 母の日と言えば私が子供のころ 『おかあさん ありがとう』とカーネーションの造花が配られた クラスの中で1人だけ白いカーネーションの子がいた その時に不思議だと感じて あとで職員室で先生に聞いてみた 『おかあさんがいない子は 白いカーネーションなのよ』と説明された そこでわざわざ《区別》する必要があるのだろうか・・・という事をずっと引きずって来た そして今こんな記事に出逢った 小学校や保育園で「母の日」イベントが中止になっている。解決策は? Forbes JAPAN 5/12(日) 11:30配信 【以下転載】 5月には母の日、6月には父の日。 全国の小学校や保育園では親へのプレゼント製作が定番となっていますが、近年このイベントが中止になるケースが増えています。 背景には家族の多様化がありました。 ひとり親の割合は平成元年から83%増 児童のいる家庭の中でひとり親と子どもだけの家庭の割合は、平成元年に4.1%だったのが平成29年時点で7.5%に増加。 世帯ごとの子どもの数を同じと仮定すると、ひとり親家庭の子がクラスに2~3人いる計算です。 祖父母と子どものみの家庭なども含めると、父母の一方と暮らしていない子どもがクラスにいるのはもはや「当たり前」の状況です。 複雑な感情を抱えつつ、父母と暮らしているかのようにイベントの日に振る舞うこ子どもたちも存在します。 また戸籍上は父母と暮らしていても、一方の父母は家庭を放棄して音信不通など感謝のしようもないというケースもあります。 送り相手がいない子がいて当然の状況では、「お母さん/お父さんへのプレゼントを作りましょう」というイベントを見直す動きが出るのも当然かもしれません。 「離婚する親が悪い」という問題ではない この動きに対して批判的な意見も少なくありません。 最もよく聞くのが「身勝手に離婚する親が悪い」という意見です。 自業自得だから気にする必要はないという主張に筆者は賛同できません。 まず、「ひとり親になるのはすべて身勝手な離婚が原因だ」という決めつけに誤解があります。 ひとり親になる理由はさまざまで、死別など防ぎようがないケースが多くありますし、繰り返される虐待から子どもを守るために配偶者から逃げ出す親もいます。 子どものことを考えず自分の都合だけで離婚する親は極めて少数派でしょう。 また、子どもの視点が皆無なのも賛同できません。 仮に親が自分のことしか考えずに離婚したケースであっても、離婚の選択権は子ども自身にはありません。 親がどうであれ、中心に考えるべき子どもにとっては自業自得ではないのです。 固定した呼称は多様な現実を隠す 別の角度の反対意見もあります。 「一部の子どもが可哀想だからと、イベントを中止する動きの方が可哀想だ」 「子どもの頃から父母に育てられるのが普通であることを教えるべき」などです。 しかし、私はひとり親の家庭が必ずしも可哀想だとは思いません。 可哀想だとしたらひとり親の家庭で育っていることではなく、自分と異なる家庭像を押し付けられ、家にいない存在への感謝を強要されることでしょう。 また「普通」を教えるべきという意見も現実的とは思えません。 前述した通り、父母の少なくとも一方がいない子どもは平均的なクラスには数人います。 父母が両方いる家庭の方が今のところ「多数派」ではありますが、そうでない子どももAB型の人と同じくらいの割合で存在します。 多数派しか存在しない建前ではなく、多様性がある現実を教えることが大事ではないでしょうか。 「両親がいる家庭からイベントを奪うな」 両親がいる家庭も影響を受ける しかし中止に対する批判にも無視できないものがあります。 「両親がいる家庭からイベントを奪うな」という意見です。 (子どもの立場でどう思うかはともかく)一部の家庭にそぐわないことを理由に全ての家庭が影響を受けることに抵抗があるのかもしれません。 イベント中止を決定した先生方も、止むを得ない判断だったというのが実態ではないでしょうか。 ここに、母の日/父の日という呼称を使う難しさがあります。 父母がいる家庭ばかりではないのも現実ですが、父や母がいない家庭に合わせると、両親がいる家庭も大きな影響を受けてしまうのです。 私が親しくしている「こども食堂」には、多様な家庭環境の子どもが多く来ます。 また、子どもの親や運営者も同様で、父母がいる家庭ではなかった彼らの考え方も様々です。 母の日/父の日を酷く辛く感じた人もいれば、むしろ過度に配慮されることが嫌で中止の動きを辛く感じる人もいます。 父母より広く使える「ガーディアン」 継続にも中止にも様々な意見があり、その背景には家族の多様化が背景にあります。 母の日/父の日という呼称を使う限りこの問題は避けられません。 それでは父母よりも広義の「保護者」のような別称が使えればいいのですが「保護者の日」だとPTAの集会のように感じます。 もう少しイメージを刷新できそうな言葉を使いたいところです。 そのような表現がないか海外の知人数名に聞いたところ、アメリカやフィリピンではペアレンツデーという日があるそうです。 ペアレントという言葉は日本語の「親」同様に血縁関係がないケースにも使える言葉だそうです。 ただし、ペアレンツデーは母の日/父の日とは異なる記念日で、別称としての表現ではないそうです。 既にある「母の日/父の日」の別称を作る上で、アメリカとオーストラリアの知人が推したのが保護者や守護者を表す「ガーディアン」でした。 オーストラリアの知人は「今年からガーディアンの日とも呼んでみる」と何故かはりきっています。 母の日も父の日もガーディアンの日。 区別するには5月の(メイ)ガーディアンの日/6月の(ジューン)ガーディアンの日と呼べば良いだろうと。 分かりにくいでしょうか? でも家族の多様性を表現するには、対応する言葉も単純なものでは補えません。 現代では保護者が1人の家庭もあれば、父母以外の保護者が2人以上いる家庭もあります。 前者の家庭なら1回にまとめてもいいし、2回とも同じ保護者を対象にしてもいいでしょう。 場合によっては学校の先生など、保護者に準ずる人を2回目の対象にしても良いかもしれません。 後者の家庭も、父母の枠に拘らず保護者を対象にすることができます。 父母に育てられている子どもはもちろん、そのまま父母を対象にできます。 父母よりも広い言葉を使えば、いろんな家族のありかたに対応できるのです。 中止の是非に新たな選択肢を ガーディアンの日という名前を作ったからといって、母の日/父の日を否定するつもりはありません。 一部の学校が中止にした母の日/父の日のイベントをガーディアンの日として復活させるべきとも思っていません。 私はあらゆる環境の子どもたちが少しでも前向きに参加しやすい呼び方を提案しているに過ぎません。 母の日/父の日を今まで通り過ごしたい人を批判する気はありませんし、言葉狩りの具になることも望んでいません。 でも不本意にイベントの中止や継続を選ぶなら、より多くの子どもたちが前向きに参加しうる呼称の利用も検討して欲しいのです。 ある人にとっては母の日/父の日、ある人にとってはガーディアンの日、ある人にとっては何でもない日曜日。 多様な家族がいる時代、この日の呼び方だって多様でいいでしょう。 令和が迎える初めての5月第2日曜日。 あなたはこの日を何と呼びますか? 【転載ここまで】 数年前 学童クラブで働いていた友人から聞いた話・・・ 『え? お前ん家 両親居るの? じゃ なんで学童なんかに入ってるんだよ?』 その言葉に愕然としたそうな・・・ その頃 学童クラブで預かっていた子供達の半数ほどが ひとり親の家庭だったそうな・・・ 世の中の変わり様についていけていなかった自分がそこに居たという事を認めざるを得なかった・・と話していた 多種多様の暮らし方がある現代 その数だけ多種多様の考え方があっても当たり前なのかもしれない お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年05月12日 23時52分03秒
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