カテゴリ:学習理論
●「どんぐり倶楽部」の「良質の算数文章問題」を使っている先生達からよく同じ言葉を頂く。
「先生、国語が随分伸びました。算数の文章問題しかしてないんですけど...」ってね。 当たり前である。国語の読解とは「文字→視覚イメージ再現」までである。深い読解でも「確かな視覚イメージ→体感再現」までである。こんなことは毎回「どんぐり倶楽部」の「良質の算数文章問題」では完璧にやっている。年長さんの時から「言葉→視覚イメージ再現→絵図(最も明確な視覚イメージ再現)→視覚イメージ操作→視覚イメージ抽出→過程の記号化(文字化:説明:計算式)」を普通にやっている。 「どんぐり倶楽部」の「良質の算数文章問題」を絵図で解いている子供達にとっては国語の読解は<遊び>みたいに簡単なのである。描き出す必要もないので場面の展開が速くても楽々と追うことが出来る。「どんぐり倶楽部」の「良質の算数文章問題」をしている子供達が国語も伸びるのは当たり前なのだ。 注意しなければいけない事は視覚イメージ再現にはオリジナルを使う点である。オリジナルでないと自在に操る事が難しくなる上に感情再現も難しくなる。だから、どんなに多くの知識を覚えていても、分かっていても応用が利かないのだ。ところが、絵図を使うとこの難題も一瞬で越えられる。どういうことだろう?絵図に描き起こした時点で、同じ絵図は絶対にないのだから、目の前の絵図は彼自身のオリジナルになるのだ。このことが非常に大事なのです。単に、問題を解きやすいようになんてレベルの話ではない。自己アイデンティティー確立にも繋がるのだ。こうして、オリジナルの視覚イメージ再現を出来るようになっていると視覚イメージからの感情再現(視覚イメージを明確にすることで再現される感情を感じること)が可能になる。借り物(コピー)では感情は感じられない。ここで、感情までコピーする(させる)人もいるが、甚だ危険な教育である。自分の感情が分からなくなるのだからね。表現力・作文力などもこの考え(理論)がなければ言葉遊びになってしまう。だから、小学校での表現力養成は危険なのだ。 ●ところが、理屈を知らない人は「算数で理論的な考えが出来るようになったから~」なんてトンチンカンなことを尤もらしく言う。見当違いも甚だしい。逆に「算数の文章問題を解くには国語の読解力が必要です」なんて勘違いのオマケまで付けてくれる。どこまで、何にも知らないんだろうか。これでは、偶然教育という無理・無駄・時間の浪費の3拍子揃った教育しかできない。 …………………………………………………………………………………………… <「どんぐり倶楽部」の「良質の算数文章問題」の解き方>を確認してみよう。理由が分かるでしょう。 1.読むのは1回だけです。「何度も読みなさい」は最低の指導です。 ・一度で読みとれるようにすることが練習なのに「何度も~」では 「何度読んでもいいんだから~」になります。 「一度しか読めないから~」という覚悟を育てることが重要なんです。 ・国語の読解力や会話の理解力の養成にもなります。 ・特に言葉(授業などの説明は全部言葉です)は1回しか聞けない上に瞬時に消えてしまいます。 「何度も読みなさい」は実は禁句なのです。キチンと間違って、次回、もう一度読むのです。 2.消しゴムは絶対に使わない。 ・考えた(考え直した)軌跡が子供を理解する好材料になるからです。この記録が宝物なのです。 3.分かっても絵図を描く。描きながら考えないで、描くことを楽しむ。 4.描いたら文章は見ないで絵図だけで考える。 ・絵図を使って頭で考えるのではなく絵図そのもので(目で)考える:分かるようにする 5.答えが見えるように絵図を描き直す。 6.答えが出たら(見えたら)計算して確認する。 ・必ず筆算で計算する。暗算は「10の補数と九九」だけに制限する。 7.要求されている設問内容に合わせて丁寧な式(計算式)を作る。 ・計算式は数学の言葉なので過不足無く書き出す。筆算はメモなのでここでは不要。 8.答えは計算式とは別に単位に注意して書き出す。 ・答案用紙には「絵図・筆算・計算式・答え」がなければいけません。(計算式は小3~4まではなくてもOKです) <注意> ●一度で覚える練習が大切なのに「何度も読みなさい」「読めば分かる」は最低の指導です。 ●「一度しか読んではいけません」「絵図にしたら読み返してはいけません。絵図で考えましょう」が基本です。 ●読書百遍(どくしょひゃっぺん)董遇の言葉「読書百遍意自ずから通ず」(魏志)は難しい文章でも繰り返し読めばその意図はわかってくるという意味で、乱読を戒め熟読をすすめた言葉ですが、「読書百遍義自ずから見(あらわ)る」とも言います。「見えるようになること」がポイントなのです。奥義を最初に教えれば無駄な時間(味わうための読書は別です)は使わずに楽しめるのです。「読書百遍意自ずから通ず」は指導方法ではありません。 …………………………………………………………………………………………… ●人間は全ての考えを同じ方法で処理している。そして、使われている材料は視覚イメージである。教科別なんてのは教える都合で分けてあるだけで、全ては同じである。だから、同じ方法で伸ばすことが出来る。体育も音楽も家庭科も、もちろん主要五教科も同じである。「教育の統一場理論」という。全ての教科で視考力を活用した思考力養成が可能なのだ。この教育の統一場理論を知ることで全教員が一つの共通目的を通して交流も出来る。すべきことも明確になる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年12月03日 17時24分39秒
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