鈍行流な日々

2010/03/05(金)10:16

新井田さんのこと(1)

将棋(46)

2日ほど前に「偲ぶ会と追悼将棋大会」の案内ハガキが届きました。改めて「亡くなったんだなあ」と再認識させられ、つらさが増しました。 私は新井田さんの側から見ると、そう親しい人間ではなかったと思います。 それでも、将棋の普及の件になると熱心に声をかけてくれたし、内緒の話も教えてくれた事があります。 初めて、顔を見たのは札幌での大会初参加のときです。もちろん、向こうは知らないので一方的に拝見した、という感じが。 そのときのAクラスの大会では、先日オール学生を制したYくん(当時は中学生?)が、新井田さんや金内さんを破り優勝しました。改めて北海道の層の厚さを感じました。 本筋からは外れますが、金内さんが稚内から遠征してきていたことにも少々驚きました。 冬の北海道で稚内と札幌を往復するというのは簡単な事ではありません。「吹雪いて翌日帰れなくても大丈夫」という職場の環境(?)もあるのでしょうが、何よりも将棋への情熱を感じました。 このときの事を道場日誌に「Yくんは本当は私が止めなければならなかった」と書いていました。 顔を覚えてもらったのは、東急将棋まつりの席上対局の棋譜を見せてもらったときです。事前にメールで見せて欲しいとお願いしておいたので、道場に入ると「さいはてさん?」と声をかけてくれました。 誰もいない道場で新井田さんが棋譜を読んで、私が駒を動かしました。ただ、「これくらいは分かるでしょう」という感じで、駒の動く升目を指で示し「○○歩」などと丁寧に読み上げてくれるわけではないので、かなり戸惑った記憶が残っています。 本当はこうした棋譜は公開した方が良いと考えていたようでしたが、連盟との関係で一局2万円を払わなければならなくなるような事を話していたような記憶があります。2日間で6局の席上対局なのでそれをすべて公開すると12万の経費が上乗せになります。それは財政上許されないことだったのだなあと、東急将棋まつりが休止になった今、改めて思います。 内緒の話を聞いたのは、ある日の「道場日誌」に反応してメールを送った時の事です。丁寧な返事と同時に決して話せない「裏話」が書いてありました。まだ、誰にも話せない内容ですが「どうして、私に?」と返信したら「誰かに話したかったのかなあ」とのメールが戻ってきました。確かに、他の人間に漏れる心配はない人選だとは思いました。札幌市内にはこうした話をする友人はいないのですから。 さて、これから明日まで仕事でお出かけです。ということで、次回に続きます。

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