鈍行流な日々

2010/04/06(火)19:50

新井田さんのこと(2)

将棋(46)

3月中には書き終わろうと思っていたのですが、なかなか文章にならずに「書いては消して」を繰り返していました。 新井田さんは大会の参加者を増やすこと、特に初級~初段レベルの棋力で参加できる大会の参加人数を特に気にしていたように感じていました。朝日職団戦などは会館に入りきらない人数になり、近くの区民センターを借りることになりました。本来は3人一組での申し込みですが、私のように友人のいないものでも参加できるよう申し込みを受け付けてくれました。人数調整のためにあちこちに頭を下げて参加を依頼していたのではないかと思いました。もっとも参加申し込みしてきた人間の棋力をきちんと把握していなければ、組み分けなど簡単ではありません。客観的にはAクラスでも本人がBクラスと申告することもあれば、その逆もあります。新井田さんだからそうした説得もできたのではないかと思います。 級の認定は厳しかったようです。私見では手の見え方で判断していたような節が道場日誌から読み取れます。勝つ事ではなく将棋の本質・本筋を見極めようとする姿勢も求めていたように思います。原田元会長がいっていた「将棋道」を大事にしていたのではないかと今思っています。「私は何級に認定します?」と聞けなかったのが心残りです。 最後に新井田さんにあったのは、昨年4月29日の職団戦の時。それ以来、会ってなかったという事は、私事と仕事が忙しかったとはいえ、将棋のイベントにも参加できていなかったということなんですね。改めて残念でなりません。今年も忙しいのは変わりませんが、できるだけ大会・イベントに参加したいと思っています。 それがなによりも供養になると思っているし、自分自身のためでもあるので。 今回行われた追悼将棋大会では勝浦九段、野月七段の師弟コンビ、北浜七段(お父さんが北海道出身とのこと、昨夏の道高校将棋選手権のゲストでもありました)のほか、LPSA中井代表の名代として植山七段があいさつをされていました。 私は早々に負け、時間があったので会場におかれていた北海道新聞の追悼記事(週1回夕刊に定期的掲載されています。各界で功績があったと新聞社が認めた人しか載りません。)や全国高校選手権優勝を報じた「将棋世界」などを読んでいました。初段免状なども飾られていました。 新井田さん、年は私のほうが少し上だけれど、将棋の師匠と思わせて下さい。合掌 (追記) 先月末に届いた「詰将棋パラダイス4月号」持ち駒のある風景・北村憲一さん記になくなる前日の様子が載っていました。道将連のHPもアドレスが変わりましたが基本的なつくりはそのままですね。妙に安心します。

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