まあぼの交差点

ディー判事メモ

■■■ ディー判事メモ      作品リストへ ■■■
楽天ブックストップページ 「Firefoxメモ」を見るためにこのページにいらっしゃった方は申しわけありませんが→こちらからごらんください。



日記に書いた作品一覧

中国迷路殺人事件(1951or56)  ⇒ 06/05/29の日記
中国梵鐘殺人事件(1958)  ⇒ 06/05/31の日記
中国黄金殺人事件(1959)  ⇒ 06/06/03の日記
中国湖水殺人事件(1960)  ⇒ 06/06/07の日記
中国鉄釘殺人事件(1961)  ⇒ 06/06/10の日記
白夫人の幻(1963)  ⇒ 06/09/04の日記
柳園の壷(1965)  ⇒ 06/06/19の日記
南海の金鈴(1966)  ⇒ 06/05/23の日記
五色の雲(1967)  ⇒ 05/03/30の日記その2


ディー判事の経歴(赴任先)と作品

平来(ポンライ)知事時代 663~
「中国黄金殺人事件(663)」「五色の雲(663)・赤い紐・鶯鶯の恋人(五色の雲)」「四季屏風殺人事件」

漢源(ハンユアン)知事時代 665~
「中国湖水殺人事件(665)」「雷鳴の夜」「青蛙(667)(五色の雲)」

蒲陽(プーヤン)知事時代 668~
「中国梵鐘殺人事件)(668)」「紅楼の悪夢」「真珠の首飾り」「観月の宴」「化生燈・すりかえ(五色の雲)」

蘭房(ランファン)知事時代 670~
「中国迷路殺人事件(670)」「西沙の柩(672)・小宝(674)(五色の雲)」

北州知事時代 676
「中国鉄釘殺人事件(676)」

大理寺丞(首都裁判所長官)時代 676~
「柳園の壺」

大理寺卿時代 679~
「南海の金鈴(681)」


常時登場人物

狄(ディー)判事  判事は江戸町奉行のように知事を兼ねている役職。
第1~3夫人  「曹さん」が第3夫人。
洪(ホウ)警部    年寄り。判事の信頼厚い存在。
馬栄(マーロン)   副官,武道に練達。
喬泰(チャオタイ)  副官,馬栄の兄貴分
陶侃(タオガン)


五色の雲メモ

五色の雲・赤い紐・鶯鶯の恋人

663年~(日本史では白村江の戦いの年)

場所
平来(ポンライ)  「中国黄金殺人事件」の舞台。

青蛙

667~(645の「大化革命」の中大兄皇子が668にやっと天智天皇になる)

場所
漢源(ハンユアン)  「中国湖水殺人事件」「雷鳴の夜」の舞台。

化生燈・すりかえ

670頃?

場所
蒲陽(プーヤン)  「中国梵鐘殺人事件」「真珠の首飾り」「観月の宴」「紅楼の悪夢」の舞台

西沙の柩・小宝

672~4(672は壬申の乱の真っ最中で,673に天武帝が即位,朝鮮半島では唐の影響力は弱まっていたような気がする)

場所
蘭房(ランファン)  「中国迷路殺人事件」の舞台


Judge Dee のモデル

狄仁傑(ディー・レンチェ)  630~700

いくつかの引用

「この時期(則天武后の治世)に登用された人材としては狄仁傑、姚崇、宋ケイなどがいる。これらはみな格式の低い家の出身であり、貴族政治の下では到底出世できなかった人間であった。(ウィキペディア)」

「狄仁傑(A.D.607_700) 唐朝の大臣。字は懐英、太原南郊の狄村の出身。若い頃は下級官吏であったが後に唐朝の最高法官である大理丞にまで出世した。他にも江南巡撫や豫州刺史にもなったことがある。清廉で剛直、また機智に富み、高宗、中宗、叡宗や則天武后からも重要視されていた。  660年、高宗と則天武后が並州を訪れた時、狄仁傑は臨時の職を任され行宮設置の大臣として派遣された。この時、並州刺史の李冲玄は高宗と則天武后が汾陽宮(今の寧武県)に遊びに行くものだと思い、そのためには妬女祠という祠の前を通らなければならないことに気づいた。世間では「妬女祠の前を華麗な服に身をつつんだ人が通るとたちまち天変地異がおこる」といわれていた。そこで李冲玄は妬女祠を迂回するように新たに道を造ることにした。狄仁傑はそれを知り、「天子の行いとは、風の神が埃を清め、雨の神が道を洗うことである。なにゆえ妬女を避けねばならぬ。」と言い、民に負担をかけさせるようなことを止めさせた。このことが高宗の耳に入った。高宗は「あっぱれ!この長きにわたる史上、この狄仁傑のように迷信を打破した人物は決して多くない。そしてもっと大切なのはあまたの民を余計な労苦から救った事である。」と言った。  700年、狄仁傑がこの世を去った時、則天武后は声を出して泣き、三日間喪に服した。そして梁国公を追封した。(大原通信)」

「唐の狄仁傑は字を懷英といい、井州の裁判官をやっていた。親は河陽にいた。狄仁傑はある時、太行山に登り、顧みれば白い雲がちぎれて飛んでいるのを見た。周りの者に、「私の親はあの雲の下にいるのだ」といい、親と遠く離れてしまった事を悲しく思い、しばらく雲を見ていたが、雲は何処かに去っていった。後に、狄仁傑の母親が亡くなった時に、白いかささぎが馴れてやって来るという異変が起こった。(雨粟莊)」





© Rakuten Group, Inc.