2005/03/09

「不死鳥の騎士団」(1)

読中感を何回かに分けてだらだらと書いていこうと思う。
で,今回は9章まで,つまり,ハリーがホグワーツ行きの汽車に乗るまで(ただし,長くなってしまうのでその前半)。

あらかじめお断りしておくと,「白鳥の騎士団」を読むのは初めてではない。一昨年の12月に一度読んでいる。したがって,細かいところはいっぱい(!)忘れているものの,今後どうなるかについてのドキドキ感は多少薄れている。
その点で,初めて読んだ人の感想と若干のずれが出る可能性はあるがやむをえない。

全体の印象だが,今回読み始めてやたら,「卓球の愛ちゃんはたいへんだろうなあ」とか,「水泳の岩崎恭子はたいへんだったんだろうなあ」とかのことが頭に浮かぶ。

子どもはいつか大人にならなければならない。

以下はネタバレがあるため,白字で書きます。9章までを読み終わった人,または今後読むつもりのない人は「選択・反転」して読んでください。

「不死鳥」の書き始めに

今回のハリーは登場の最初からいじけているし,やたら僻みっぽく,怒りっぽくなっている。

ハリーの性格が変わったの? それも多少あるだろうが,おそらく筆者の書き方が変わり,それにともなって外からハリーを見る「読者としての自分の視点」が変わらせられたのだと思う。

15歳という年齢は,子どもからおとなになる,あまり好きではないのだが日本流にいえば「反抗期」。

それまで自分の希望を強くもって,それを強く相手に伝えて「意志が強い」とプラス評価されたものが,場合によって「我意が強すぎ」と糾弾されかねない年齢になりつつある。

さらに,ハリーには「能力」と「実績」がある。子どもが能力と実績を示した場合,まわりの目は「かわいい+すごい」という評価。ただし,あくまでも,「すごい子供」なのだ。

本人は違う。まわりの子どもより優れていることを必然的に自覚させられ,ときにはおとなと「対等にあらそい」勝利も収めた。
自分がすでにおとなである,あるいは「ふつうのおとなには負けない」という気持ちが,意識しているしていないにかかわらず,本人を蝕んでいるのではないか。

しかも,年齢的におとなへの脱皮をはかろうとする時期にさしかかり,ことはいっそう難しくなる。「監督生」になる学年というのがそれを象徴しているだろう。

要するにハリー君,背伸びのしすぎだよ。シリウスはハリーにジェームズの姿を重ねているとウィーズリーおばさんは非難するが,ハリーこそジェームズと張り合おうと必死なのだ。
しかも,同年齢の遊びまわっているジェームズではなく,騎士団の一員として活躍しているジェームズと。

って,かたくなってしまった。
ダーズリー一家のおろおろぶりはあいかわらず。別れ際のドタバタがけっこう好きなのだが,おじさんがハリーの話をしっかり聞いたり,おばさんがいろいろ知っていることが明らかになったりとちょっとさまがわり。

今回はあまり出番がなかったのが,残念。大人数でハリーを迎えにいったのだから,大仕掛けないたずらをしてくればよかったのに……。

ブラック家で,ウィーズリーおばさんがギデオン先生への尊敬を捨てていないことがわかりにっこり。「ガイドブック-一般家庭の害虫」は著者の能力に関係なく,名著であるようだ。

新たな魔法使いがいろいろ出て,読みながらしっかり混乱した。さっそく先日紹介したサイトで調べて,ややすっきり。
「英語で楽しむハリー・ポッター」のほうが,姓で並べてあるのと,「マグルと魔法使い」という項目で「人」のキャラクターがまとめてある点から使いやすかった。

次の「不死鳥」に

長くなりすぎたようなので,続きは次にします。





TWITTER

Last updated  2005/03/09 08:14:55 PM