レディース・ゴルフ1

2005/07/29(金)11:56

ジャック・ニクラウスのこと

ゴルフ(21)

ブリティッシュ・オープンも、いよいよ3日目を終えました。 タイガーの2打差の首位は、昨日よりきびしい状況の中でキープされましたが、最終日、どんな展開になるか、わからなくなって来ましたよね。 ニュージーランドのマイケル・キャンベルも、USオ-プンが奇跡だったのか、それとも実力だったのか、今回、大注目だったのですが、思った以上に健闘。 -7で、7位につけています。 地元としては、こちらも応援してるわけで、忙しい、忙しい。 そして、ジャック・ニクラウスのこと。 結局、予選通過に2打足りず、+3で引退となりましたね。 いまどき、タイガー・ウッズの名前を知らない人はいないでしょう。 ゴルフを全くしない人でも。 同様に、ジャック・ニクラウスとアーノルド・パーマーの名を知らない人もいないと思います。彼らが、ゴールデン・ベアと傘のマークでゴルフウェアを日本のおしゃれさんに広めた頃、私は高校生でした。 まさに、スポーツのブランドというものが、初めて庶民の手に入るようになった頃の話。 それでいて、ブランド物は高く、ステイタスがあり、憧れであり、・・・ 私達は、普段でもおしゃれをする時は、ワンポイントのついたスポーツウェアを着ていました。スポーツシャツが買えないときは、せめてソックスを履きました。 その後、テニスのフィラや、エレッセが流行り、ゴールデンベアはおじさんのイメージになったのですが、ジャック・ニクラウスの名は、女の子にまで浸透したのです。 その彼が、遂に引退しました。 1940年1月21日、オハイオ州コランバス生まれ。 当時、既に、おじさんだと思っていましたが、ゴルフは長く出来るスポーツですね。 彼のお父さんが”ゴルフ狂”とあだ名されるほどゴルフ好きで、彼が10歳の時から自分のクラブに連れて行って始めさせたそうです。ジャックは、それこそ、のめりこんでゴルフを始めます。高校に入学した年からジュニア・トーナメントに出るようになり、17歳から、全米オープンや全米アマの予選会にも出場するようになります。 翌年は、見事に決勝ラウンドにまで進出。 61年、オハイオ州立大最後の年に全米アマで2度目の優勝。プロに転向します。 初戦は、緊張の余り最下位。 そんな歴史もあったんですね。 しかし、翌年、全米オープンでアーノルド・パーマーとプレイ・オフにもつれ込み、遂にプロ初優勝。以後、17年間、一度もランキング5位以下に落ちることがなかったといいます。 その彼が、最盛期の頃、語った言葉。 「私にはライバルなど存在しない。自分で目標を定めて知恵と汗を流すだけ。 しかし、常に脳裏から離れない偉大な人物がいる。私は、ボビー・ジョーンズを尊敬し、彼のようなゴルファーになりたいと思う。」 帝王ニクラウスは、自分はボビージョーンズに遠く及ばないと告白したのでした。 しかし、そう語った謙虚な言葉が、彼をして、偉大な精神的に成熟した彼の人柄を偲ばせてくれます。 彼はまた、新しいものに挑戦する人でした。 1886年、46歳の時、マスターズで愛用のジョージ・ローのパターを仕舞い込み、発売されたばかりのヘッドの大きなレスポンス・パターを使用、 最終日に、奇跡的な逆転を達成して11年ぶり、6回目の優勝を遂げます。 人生にゴルフがあってよかった、と思える、そんな一生を送りたいです ね。

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る