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カテゴリ:ロビンスメモリアル
今これを書きながらどこまで書くことが、適当なのか自分自身でも量りかねております。あの時突然にイギリス行きが破綻したことは、言葉に尽くしがたい大変なショックでした。そのショックは到底言葉で表現しきれるものではありません。でも今此処でその経過を詳細に申した所で他人の方には興味の持てることではないと思います。
唯、今も不思議に思うのはあのロビンスの失踪騒ぎがなければ......。 予約していた7月のJAL便に多くの見送りに囲まれて意気揚々と乗り込んでいた事でしょう。 結果、イギリス到着後に私を待ち構えていた混乱は非常に大変なものになったことでしょう。 当時、矢継ぎ早の送別会、荷物発送準備、引越し、に心身ともに非常に疲れきっておりました。階段を降りながらふと眩暈をして、そばにいた同僚が咄嗟に腕をつかんでくれ、事無きを得たことがありました。そうした状況で、イギリスに着いてから、予想外の展開を経験する事になったら......。想像するだに恐ろしい事です。私をそうした困難な状況から守るためにロビンスが姿を消したのでしょうか。それとも単にガールフレンドに舞い上がっていただけなのでしょうか。それともその時に日本を出ればヒースロー検疫所に二ヶ月滞在しないといけないので、それが嫌さに姿を消したのでしょうか。答えは永遠に闇の中です。ですが彼が失踪したがゆえにJAL便をキャンセルし、結果新たな航空券の取り直し、旅行会社との折衝、そのなかで計画の綻びが露呈されてきた事は事実でした。
前の話に戻します。 その教えていただいたメールアドレスの教授より、予想外に好印象の歓迎のメールを頂き、私は舞い上がりました。積年の望みが叶う、と今までの苦労が氷解する思いでした。念のために、そのメールをかねてより私の活動をサポートしてくれていたイギリスの機関のマネージャーたる女性に送ると、彼女の返事も 「Well done , ○○○!」 と言うものでしたので、私の理解は間違っていなかったと思います。そのメールを丁度受け取ったのは11月の事でした。明けて翌年2月、条件整備のために渡英致しました。このあたりから私の中に 「大丈夫かな? ?」 と言う疑問が......。留学部門の担当者に教授のメール内容と渡英を伝え、宿の手配を依頼したにも関わらずメールの返事は来ませんでした。それを皮切りに次々と......。そして圧巻は問題の教授との面会です。 歓迎されていると言う雰囲気を全く感じることが出来ませんでした。 駄目押しのつもりで 「留学できますか。」 と聞くと 「勿論。」 との返事でしたが、なんら具体的なリサーチの方向性も条件も呈示されず、非常に不安な気持ちでした。この時点で私は止まるべきだったのかもしれません。しかしイギリス行きのために昇進の機会を断わり、ボスともまずくなった私はもう日本に居場所は無いと考え、「既に賽は投げられた。」と自分を奮い立たせていました。その頃日本ではロビンスが留守番女性の顔を引っ掻き、とんでもない怪我を負わせておりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年09月03日 05時00分02秒
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