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のぶさんのテニス徒然日記                                                         ~ 宿毛で楽しいテニスライフ ~

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2025.06.04
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カテゴリ:スポーツ
 6月3日朝8時過ぎテレビを見ていると長嶋茂雄逝去のテロップが流れた

 いよいよかと思いつつも
 昭和の偉人がまた一人鬼籍に入ったかと少しく寂しい思いを禁じ得なかった

 1974年
 「我が巨人軍は永久に不滅です」の言葉を残して、ミスタープロ野球長嶋茂雄が引退した

 その頃長嶋茂雄ファンだった高校2年生のぼくは随分と落胆した記憶がある
 確かに引退間際の数年間は、十分な活躍とは言い得なかったのかもしれないけれど、チャンスには滅法界強かった印象を持っている
 実際にはそれほどではなかったのかもしれないけれど、チャンスになれば、やはり世界の王ではなくミスタープロ野球の長嶋に期待すること大だった

 監督に就任してからは流石に現役の頃のような圧倒的な活躍とはいかなかった

 「名選手必ずしも名監督に有らず」

 ミスターのような天賦の才を持った天才には、監督のような仕事は向いていないのかもしれない
 川上や森や広岡や野村のような策略家の要素満々の監督にはなれなかったが、その存在感は、どの監督をも凌駕していた

 それにしても
 1980年の監督解任劇には心底腹が立った

 成績不振をこれ幸いに、反長嶋のG首脳たちが、己が権勢を誇示し、石持て追い払うかのごとき所業であった
 同じ止めさすにしてももっと思慮深い方法があっただろう

 それ以降ジャイアンツが大嫌いになり
 セリーグが嫌いになった

 その後は、パリーグの野球を楽しんでいたのであるが、
 パリーグ球団の生え抜きが何人もジャイアンツに引き抜かれて行く状況には、ジャイアンツばかりかプロ野球そのものが嫌になった

 大谷翔平の出現によりかろうじて野球を見るようになったが、未だ日本のプロ野球を楽しむ気持ちは戻ってこない

 ミスターの訃報を知った大谷翔平は、自身のSNSにミスターとの写真を掲載し、その死を悼んだ
 そしてその日、大谷翔平は特大の23号のホームランを空高く打った

 それは
 私には
 長嶋茂雄に捧げる鎮魂のホームランのように思われた


 今はただただ
 ミスタープロ野球の逝去を悼むばかりである





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最終更新日  2025.06.04 07:45:26
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