晩酌生活

2020/02/28(金)07:00

【東京③】プラットホームの数が日本一の駅【続編】

遠出(77)

晩酌日記をご訪問いただきありがとうございます。 雨の中次に向かった先は、東京駅丸の内口! ①Ωが東京オリンピックまでのカウントダウンを担っております。 ②Ωを振り返ると! 東京駅の丸の内口駅舎です。 ③この写真、空が明るいですね。 これはもはや、大都会か?、不夜城か?、いやいや、メトロポリタンですね。 ④レンズが涙目なのかボケてます。 ⑤レンズが号泣なのか、ボケてます。 プラットホームの数が日本一の駅からでした ↓ライブ・お笑いチケットはこちら ↓今のオススメは『さらば青春の光』のライブです。  私も福岡公演とりました! ↓リンク farewell lights of youth ​ ■東京駅丸の内駅舎 JR東京駅丸の内口駅舎は大正3年(西暦1914年)に完成。当時から繁華街であった京橋側に作らず、皇居に面した丸の内口につくるなど、駅機能としての実用面のみならず、象徴的な意味もあった建築物。平成9年に関東の駅百選、平成15年には国指定の重要文化財に指定された。駅舎の設計は明治、大正と日本の建築界をリードしてきた辰野金吾です。辰野金吾はこのほか、日本銀行本店や旧岩手銀行本店本館、大阪市中央公会堂、旧第一銀行神戸支店、旧大阪教育生命保険などを設計。赤レンガに白のラインをほどこした建築様式に特徴があります。辰野金吾はジョサイア・コンドルに学んだことでも知られる。ジョサイア・コンドルは明治10年から来日し、三島由紀夫の戯曲や芥川龍之介の小説で知られる鹿鳴館や、上野の旧岩崎邸庭園洋館、北区にある旧古河庭園などを設計したほか、日本の建築家を育成されました。丸の内口駅舎は太平洋戦争終戦直前の昭和20年5月、東京大空襲により焼夷弾が着弾、多くの建造物が破壊された。終戦後に規模を縮小して修理され、屋根の小屋組みは5年くらい持てば良いという考えで応急処置的に修復されてます。その後60年以上にわたり本格修理できないままとなっていたが、平成11年に本来の姿に復元することが決まった。平成19年に復元工事を開始。現存している駅舎の外壁など、可能な限り保存、活用して外観を創建当時の姿に再現しつつ、機能を拡大しました。さらに巨大地震に備える工事がなされた。平成23年には屋根材に使用予定だった宮城県産の天然スレートの一部が東日本大震災の津波で被害を受けるなどの障壁を乗り越えて完成の日を迎えました。

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