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2014.10.27
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カテゴリ:音楽
<出 演>
ヘルマン(チューリンゲンの領主): ヨン・グァンチョル
タンホイザー: トルステン・ケール
ウォルフラム(歌手である騎士): マルクス・アイヒェ
ワルター(歌手である騎士): ローター・オディニウス
ビテロルフ(歌手である騎士): トーマス・イェザトコ
ハインリヒ(歌手である騎士): シュテファン・ハイバッハ
ラインマル(歌手である騎士): ライナー・ツァウン
エリーザベト(領主のめい): カミラ・ニュルンド
ヴェーヌス: ミシェル・ブリート
牧童: カーチャ・ステューバー

<管弦楽>バイロイト祝祭管弦楽団
<合 唱>バイロイト祝祭合唱団
<指 揮>アクセル・コーバー
<美 術>ヨープ・ファン・リースハウト
<衣 装>ニナ・フォン・メヒョウ
<照 明>フランク・エヴァン
<演 出>セバスティアン・バウムガルテン
<字 幕>武石みどり

収録:2014年8月12日 バイロイト祝祭大劇場(ドイツ)

近年斬新な演出が続くバイロイト音楽祭。中でも過激な解釈で話題になったプロダクション。救済と自己犠牲のドラマを、架空の循環型社会におけるセレモニーとして描く。
近年は斬新な演出を次々に上演するバイロイト音楽祭。その中でも過激な解釈で話題になったプロダクション。ワーグナーが描いた救済と自己犠牲のドラマを、架空の循環型社会における一種のセレモニーとして、劇中劇形式で上演。


第1幕終了、たしかに過激モダン演出だが(例えば、舞台上で檻の中のタンホイザーとヴェーヌスが「愛」の所作)、そもそもこのオペラの意図するところがよくわかっていない。そこで、あらすじ検索。

タンホイザーは、禁断の地とされていたヴェーヌスベルクで、愛の女神ヴェーヌス(ヴィーナス)と官能のひとときを過ごしていました。しかし、そんな生活にも飽きてしまったタンホイザーは、ヴェーヌスの誘惑を振り切って禁断の地をあとにします。

ん?「飽きてしまったタンホイザー」ではなく(それが本音かもしれないが)彼は「聖母マリアによる救済」と言っていたなあと検索継続。

多くが伝えているタンホイザー伝説は、およそ次のようである。タンホイザー自身は特に秀でたミンネゼンガーではなかったらしく、放蕩三昧の日々をおくった。快楽の奥義を極めると称してヴェーヌス(ヴィーナス)のいるヴェーヌス山の洞窟に1年間こもった。しかし、最後的には聖母マリアに助けを求め、悔い改めの生活に入ろう考えた。ローマに出向き、ローマ教皇に会った。そして教皇に罪を告白した。教皇は自分の持つ枯れ木の杖に芽が出ぬ限り、タンホイザーに救いはないと、厳しく告げた。タンホイザーは再びヴェーヌス山のヴェーヌスのもとに帰った。ところがその3日後に教皇の杖に緑の芽が出てきた。教皇はあちこちにタンホイザーのゆくえを探させたが、見つからなかったという。しかし、ヴァーグナーが構築したテーマは、、“女性による救済”を加味することであった。「タンホイザー」では、エリーザベトがこの役目を果たす。

成程、こうしたタンホイザー伝説を下敷きにしてワーグナーは(得意の)男は女によって救済されるドラマを作り出したのかと納得して明日以降第2幕。以下、参考までに演出関連ネット評。

舞台は醸造工場みたいでヴェーヌスベルクは地下からセリで上がってくる。カーテンは最初から開きっぱなしで舞台上左右も珍しく客席になっています。中央奥にスクリーンがあり、そこにいろんな映像が頻繁に投射されます。ちょっと煩わしく思いました。

「タンホイザー」は相容れない2つの世界で葛藤する姿と結末を描いています。演出でどんな読み替えをするにしてもこの構図は守らなければいけないと思います。なのにバウムガルテンは単に精神(思想)と肉体(官能)を表面的に対比させているだけのように思いました。ワーグナーはそういう形はとっていますが、意図は思想の決定的相違であり、例えばカトリックと反カトリックとか封建制と民主制の戦いの中で格闘し苦悩していたのだと思います。その点この演出はイタオペ的でつまらないと思いました。


そうそう、ヴェーヌスが妊娠しているのもどういう意図なのだろう。

たとえば、工場の地下にバケモノ王国のような「ヴェヌスベルクの世界」があり、それが第2幕のタンホイザーの歌の前後に出現したり、冒頭からヴェーヌスが身ごもり、ラストシーンでその赤ん坊が生れたりというのも、まあそこまで持って行く解釈もあるかな、と思われる。
 特にヴォルフラムの性格づけには注目すべき点があり――エリーザベトへの想いを募らせながらも彼女とタンホイザーから軽んじられたりするところなどは、あのコンヴィチュニーの演出を更に押し進めた解釈だろう。ヴォルフラムがヴェーヌスと懇意になるという設定にも、一理ある。
 「大行進曲」の合唱の場が、まるでその工場の社歌か労働歌の斉唱の光景みたいに見えるのも、それなりに筋が通っているかもしれない。

 ただし問題は、その先の意味がさっぱり解らない、というところにあるだろう。たとえば、第2幕の歌合戦にヴェーヌスが立ち会っている、という設定はいくら何でも無茶ではなかろうか? 
 このプロダクション、あまりに評判が悪いので、来年で打ち切られるとかいう噂も聞いたが、さてどうなることやら。


第2幕終了。エリザベートは自分でナイフを刺して、血まみれになるのはそこまでやらなくてもと思うけど、彼女の受けた心の傷の深さと自己犠牲心の現れとしておく。
しかし、納得出来ないのはタンホイザーが真面目に反省していること。もののはずみで

タンホイザーはますます気分が高まり、君は愛の享楽が何であるか分からないのだろう、と応えた。ヴォルフラムがもう一度高徳の愛を歌うが、タンホイザーは承知せず、あげくのはてヴェーヌスを讃えた。

のかなあ?第1幕では「聖母マリアによる救済」を願ったのに、第2幕では「肉欲肯定」。いったい何を考えとるんやと第3幕へ。

第3幕2場終了。夕星の歌ってウォルフラムの歌と認識していなかった。

エリーザベトが現世での苦しみから解放されて、天使の列に加わることができるように夕星に向かって祈る。竪琴を手に歌われるのが有名な「夕星の歌」

エリザベートの自己犠牲の陰にウォルフラムの純愛という構造のオペラなんだあ。何回かこのオペラ(当然にテレビで)観ている筈なのに。記憶を確かにするためにも記録はしっかりしなくっちゃ。

ところで、エリザベートが歌う「全能なる処女マリア様」って、マリアを全能にしてもいいのかなあ、全能の神は唯一というキリスト教理に抵触するのでは?それとも「全能」は誤訳なのか?

終幕。ローマで赦しは得られなかったタンホイザー、でも結局はエリザベートの自己犠牲により救われる。
いったい、このオペラ、何が言いたいねんと「タンホイザー 贖罪」でググったら

文献として残る最古のタンホイザーのお話しは、15世紀半ばの北ドイツ(口承はもっと古いはず)で書かれています。1515年にはこれがもっと南に下がり、ドイツのニュルンベルクでも印刷されています。これ、よく考えると宗教改革の前夜にあたる時期ですね。そう、実を言うとタンホイザーのお話しはバチカンのローマ教皇に象徴されるカトリック教会の権力対する当てつけという一面があったのです。教皇に許されなかったタンホイザーを神が許すというところがそれ。1500年ごろに書かれたタンホイザーのお話には、こんな文句まで入ってますよ。

などという見方があった。教会の権威よりも切実な祈り、それが本当の信仰だ。ワーグナーはそれが言いたかったと今は理解しておく。





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Last updated  2014.10.31 03:26:17
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土曜日7654@ Re:ノヴェンバー・ステップスとユニクロと吉田秀和(03/04) あ、こんなところまでわざわざ。こちらこ…
nomomania@ Re:ノヴェンバー・ステップスとユニクロと吉田秀和(03/04) 拝聴させて戴きました。 この度は本当にあ…

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