泣いて馬謖を斬る!
やっと、マイナス思考から復活!!ドリーマーさん、Miracleさん、夢は力さんありがとうございました!みなさんのおかげです!!久しぶりに「三国志」ネタです。以前にも紹介した、 「趙雲」の恩賞拒否の後の話です名付けて、 「泣いて馬謖を斬る」です。「諸葛亮孔明」は、「劉備」が三度も出向いて(三顧の礼)やっと仲間になってくれた大賢人です。その諸葛亮孔明が、一番かわいがっていた「馬謖」にある作戦を与えて、街亭といわれる土地の守りに行かせた。これは、「馬謖」の立候補でした。しかし、「馬謖」は、その作戦を無視して、大敗します。これが、「街亭の戦い」です。そして、このピンチを「趙雲」がしんがりを務めたりして、なんとか切り抜けて、全滅は防いだが、蜀の中国統一の野望を打ち砕いた戦いでもあった。「劉備」だけでなく、「関羽」や「張飛」などの将軍がなくなった今「馬謖」は「蜀」には必要な人物でした。しかも、諸葛亮孔明が一番かわいがるくらいの才能があったのですから。しかし、諸葛亮孔明は、「死刑」を命じます!部下たちは、有能な「馬謖」を斬るのはもったいないと止めに入ります。しかし、諸葛亮孔明は「軍律をおろそかにして敵を破ることができようか」でも、部下も食い下がります。「でも馬謖は実に惜しいそう思いになりませぬか?」そこで、諸葛亮孔明は「私情こそ判断を誤らせる一番の罪じゃ。馬謖の罪はむしろそれより軽い。惜しむべきほどなればこそなお断じて斬って軍法を正さねばならぬのじゃ。本当の罪は余の不明にある。」諸葛亮孔明は、「馬謖」の首を見て泣き崩れた。そして、蜀兵は、「馬謖」が斬られたことで20万の兵はみな涙を流しました。そして、軍律を守らねばならぬとみなが気持ちをひきしめた。「戦は敗れたとき、兵士の士気は落ち、軍令規律は乱れるものじゃ。それがかえってひきしまったということはうれしいことじゃ。真の敗れはその国の内より敗れたときじゃ。」と。「泣いて馬謖を斬る」は色んな教訓があります。読んだ人がそれぞれに感じてくれればと思いますが、部活をやっている人たちは、勝負はうまくいくことばかりではありませんが、負けた時に、監督批判や、仲間の批判をすることが、本当の「敗戦」でしょう。負けた時こそ、もう一度自分を見つめなおして次の戦いに向かって欲しいと思います!ブログランキングに参加しています本日もワンクリックお願いします!☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆人気blogランキングへ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆