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テーマ:ガンの後の日常(82)
カテゴリ:癌との付き合い方あれこれ
掲示板の方のご質問に答えてセカンドオピニオンを受けに行った時のことを書いたのですが、今になって思い出してみると、あれはすごい出来事だったのかもしれません。
準備して、元の病院の先生などとお話して、資料を持って出かけていって、話を聞いて、判断する。なにげなく書いてはみたけれど、すごい、重い出来事でした。 あの時の判断が正解だったのかどうか。それは分りません。あの時に、ホントに自分の判断が正解だと思ったかどうか。そんなに、バッチリと分りはしなかった。 元の病院の先生の方針の中だと、癌が全部取れるという保障を聞いたことはありませんでした。最初は手術を併用と言っていたけれど、途中から放射線と抗癌剤だけという方針に変わっていました。セカンド先の先生は、きれいに取れますよと言ってくれました。転院を決めた理由として挙げられるポイントは、一応それです。 でも、きれいに取れたのだろうけれど、口は開かなくなりました。あごの骨まで折れてしまいました。雑誌には頭頸部ガンを放射線と抗癌剤だけで直すという記事が載っていたりしていました。顔周りの手術は、後への影響が大きいのです。 転院していなかったら、今頃死んでいたでしょうか。そうかもしれませんし、骨が折れるなんてことは無しに、今より快適に元気にしていたのかもしれません。 ただ、何としても、少しでも確実に、生きたかった。今、多少の不自由はあっても、生きていますから。多分、セカンドオピニオンを受けた時に、何となく、移った方が生きられる、という、直感的なものを感じたのです。目の前におられた先生の、お話と、お話以外の雰囲気も、前の病院の先生方のお話と雰囲気も、全部込みにして。 それ以前の段階でも、必死にいろいろ考えました。元の病院の主治医にも、それ以外の検査の先生とかにも、いろいろ聞きました。恐がられていたかもしれません。主治医から、若い先生達に、Aさん(私のこと)は理系だから聞かれたら詳しく答えるように、と話があったそうで、何やら緊張して説明してくれたのを思い出します。私は理屈張った人間です。告知の時には夫に居てもらいましたが、入院後は子供たちを夫に預けて、とにかく子供の面倒をちゃんと見てもらおうと思いました。病気の事は自分で考えました。夫は夫で調べていたようですが、結局何をどうするかは、私が自分で考えた内容を変える事はないだろうと思っていたのではないかと思います。余程的外れなことを言い出さない限り。 だから、セカンドを受けに行く時にも、好きにしな、って感じだったのか、まぁ、仕事もあるしで、ついて来てはくれなかったんです。信頼されてたのかな。。。。でも、正直、あの時はきつかった。重い資料を持って、電車で気持ち悪くはなるわで、行き帰りは大変だった。でも、セカンドを受けている部屋に夫がいたら、どうだっただろう。内容は同じだったと思いますけどね。私がどう決めるかを、夫は受け入れてくれただろうと思いますが。 セカンドオピニオンを受けるご本人が高齢だったり、付き添いの人の方が状況に詳しいという時、その場でベストの判断ができるかどうかは、もっと複雑なのでしょう。転院は家族にも大きな影響を与えるから、家族も判断に加わる方がいいですよね。うちの場合も、転院して、遠いので、夫は病院に来るのが非常に大変になったのです。何も言わずに、タマには来てくれましたけど。子供を連れて。うちでは基本的に私の思うようにさせてくれたのです。でも、私がこうだと思ったら聞かない人間だからです。告知の後は考える時間もなく慌しく大変ですが、家族がよく話し合うことも大切だと思います。あと、できるだけ家族が付添って出かけてあげて下さいね(当たり前か。1人で行かせるなんて、うちだけだったかも。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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