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umuyasuの日誌

umuyasuの日誌

自分の国を愛すること

自分の国を愛すると言うこと




昨日、某ニュース番組で筑紫哲也が相も変わらず寝ぼけたことを言っていたので、テレビに向かってつい毒づいてしまった。
「愛国心」と言う言葉に、なぜか異様に嫌悪感を持った反応をするエセ文化人が多いのは、そういうエセ文化人を持ち上げてしまってきた大衆の罪であると思うのだが、それは別の場での話として。

筑紫氏の昨日の言い分は、「愛国心というものは教えないとダメなのか、そもそも愛国心とは心にわき上がってくるものではないのか」と言う事だったと思う。

しかしである、朝から晩まで「日本は戦争のとき、回りの国に対して酷い犯罪行為を行ってきた。このことは、お金や反省の言葉では永久に償いきれない。原爆を二発落とされたくらいでは、とうてい補いきれないくらいの犯罪行為であり、それらのことを行った当事者である軍人達だけでなく、その子や孫、子孫代々未来永劫にわたって償わなければならないのだ!」
と言うようなことを回りで唱えられて、日本人は悪い、卑怯、などと特定アジアからだけでなく、同じ日本人から言われ続けて、果たして国を愛する心など芽生えると言えるのだろうか?

私は、右翼でも左翼でもないが通常に考えて、おかしいと思わないのだろうか。

国を卑下するような教育は許されて、国を愛する教育は偏向教育だ、軍国教育につながる事だ、といつまで馬鹿なことを言い続けるのだろう。

筑紫氏は、ある面では鋭いところを突いているのだが、こういう件になると、全く馬鹿サヨと同じ意見に立ってしまっているのが情けない限りである。

同じ言うのなら、「日本が誰にでも愛されるような国にしていくために、いったいどうしたらよいのか、誇れる国にしていくためにどうしたらいいのか、をもっとまじめに考えるべき」
とでも言えないのか?

最近のジャーナリストの多くは、本当のジャーナリズムを放り投げ、「報道の自由」という、間違った伝家の宝刀を振りかざして、一般人の心の内側を踏みにじって、一方で犯罪者を保護し、エセ人権で凝り固まった人間を持ち上げ、正論を言う人間を封印しているように思えてならない。

愛する国を作りたい、自分の生まれた国を愛したい
この国にいきる人間を愛したい 
そんな意志を否定するような発言は、本当のジャーナリストなら、いい加減に止めて欲しい。


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