561787 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

会社を辞めて旅に出た ~いつのまにか雲南定住~

会社を辞めて旅に出た ~いつのまにか雲南定住~

マラリアに倒れる

マラリアに倒れる

 ビアックから約1日かけてフェリーに乗りニューギニア島の西端、ソロンに到着した。ここで宿探しにまたしても苦労することとなる。港から重いザックを背に歩いて行くと、数百メートルのところに安宿があった。しかし空室はないとのこと。それから更に数百メートル進んだところの宿でも同様、そしてまた歩いて、というようにどんどん港から離れていくが、宿はどこも満室。
 ようやく5軒目で空いている部屋を見つけたものの1泊65,000ルピア(1000円弱)と安宿の部屋にしては随分と高い。値下げ交渉するがボスがいないので出来ないと即座に却下された。歩き始めてからもう1時間以上経ってかなり疲れているし、既に日も落ちたので、とりあえず今晩はこの宿で我慢することにした。ソロンはそもそも安宿が少ないようで、さらにフェリー到着時にはフェリーを降りた人の一部が宿に向かうためすぐ満室になるようだ。ここで教訓をひとつ。フェリーを降りたら即座に宿に向かえ!

 部屋でシャワーを浴びて一息ついてから夕食に出かけた。港から宿まで来る途中、海辺の一角に屋台が集まる所があったので行ってみる。久々に美味いものでも食うかと考え、シーフードをを探した。屋台が7、8軒あり一応全部チェックしてから店を決め、ウダンバカールを頼んだ。これはエビを炭火で焼き、インドネシア特有のピーナツソースをかけたもの。エビは大きめのブラックタイガーサイズが5尾、それに野菜とスープ、ライスがつく。これで8500ルピア(100円ちょい)とはなかなか安い。味もマズマズで久々に満足。
 食後、宿でワールドカップサッカーの決勝戦(ブラジルvsドイツ)でも見ながらビールを飲もうと思い、近くの酒場にビールを買いに行った。しかし、体が異常にダルく少し寒気もするので、ビールを1本だけ買って帰ることにした。宿に戻りTV観戦するが体調がさらに悪化し、せっかくのビールも進まず、途中で諦め寝ることにしたのだった。

 次の日も昨夜同様に調子が悪い。寒気がし、体がだるく、少し頭痛もあって食欲がない。昨日は重いザックを背負って1時間以上宿探しで歩き回ったため、無理がたたり体調を崩したのかなと思った。1日寝ていれば良くなるだろうと考えていたが一向に回復しない。ネパールのトレッキング用に持ってきている長袖のアンダーウエアを着込んでいるのに、この暑いインドネシアでちょうど良いくらいだ、というのは尋常でない。食欲もなくバナナを数本食べただけで、この日はずっと部屋のベッドに横たわって過ごした。
 体調を崩して3日目。全く回復の兆しがないので、決心してというか観念して病院へ行くことにした。病院では待合室のようなところで簡単な問診と採血を受け、台車付の移動ベッドに横にさせられた。問診後、看護婦さんから注射を打つといわれ不審に思い、何の注射なのか聞いたものの理解できない。何か分からない注射を打たれるのも不安なので、とりあえずは点滴をお願いする。1時間半から2時間ほどで採血の結果が出、私はマラリアにかかっていることが判明し、即入院となった。
 暗い待合室から横に長い3人部屋の病室にベッドごと運ばれ、周りを白いカーテンで仕切ってある一番手前のスペースに収められた。マラリアといっても以前にも1度罹ったことがあり(*1)それほど不安にはならず、「まあ、またかかったか」という感じだ。それよりも、自分の病名が分かったことに少し安堵を覚えたのだ。なにしろ病名が分かればそれに対する対処方法があるのだから・・・。今回のマラリアの症状は前回と違い、高熱と激しい悪寒、ひどい頭痛がなかったので自分ではマラリアだとは気づかなかったが、もう1日くらい宿で我慢していたらあるいはそうなっていたかもしれない。そのことを看護婦さんに告げると、早期治療だったから高熱にはならなかったというようなことを言っていた、ような気がする。ともかく入院し治療に専念することにする。

病院で出された食事
病院で出された食事
オカズは野菜の煮込んだスープと、香辛料を絡めたゆで卵、そしてテンペゴレン(私の好物で、大豆を発酵させ固めたものを油で揚げる)だった。
 この病院はキリスト教系らしく、夕方には病室の隅で(多分)賛美歌のようなものを看護婦さんたちが歌う。最初に聞いたときは、それが亡くなった患者さんへの病院の儀式なのかと思ったが(病室で合唱することなど日本の常識では考えられない・・・)、翌日も同様なので違うなと気づいた。多分お祈りの時間なのだろう。その合唱はどこかしらエキゾチックな雰囲気が漂う不思議な感じのする音階だった。
 病室は3人部屋なわけだがカーテンで仕切られているため他の患者の様子が分からない。同室の他の患者は病状が悪いようで、ずっと寝たっきりの様子。向こう端のカーテンの仕切りからは老婆のうめき声さえ時折聞こえてくる。さすがにあまりいい気分がしない。何故だかわからないが、夜も部屋の電灯はつけっ放しだ。病室だというのにちょっと異常ではないか。
 病院の看護婦さん達はというと、以前にスマトラで入院(*2)した時のような若い可愛い子はおらず、残念!

 で、私の病状はその後どうなったかというと、抗生物質(クロロキン)を服用してから回復に向かい、点滴をずっと続けているので元気が戻ってきた様子。入院2日目の午後からはだいぶ体調も良い。出された食事も全部食べることが出来る。ただ、ずっとベッドに横たわっているので背中が痛いというか、だるくて仕方がない。もちろんベッド自体あまり良い代物ではないということもあるが・・・。結局、症状も軽かったためか3日の入院で無事退院することが出来た。

 入院費と治療費を含め1,000,000ルピア(約15,000円弱)はちょっと痛かったが、まあその程度で済んだのは不幸中の幸いかもしれない。清算時、手持ちのインドネシアルピアが不足していたため、退院の前に銀行へ行かねばならなかった。そのことを病院側に告げると、なんと病院の救急車で銀行まで送迎してくれると言う。救急車をこんな私用に使っていいのか?銀行に行っている間に急患が発生したらどうするんだ?とこちらが心配してしまう。とは言っても、ちゃっかり救急車を利用させてもらい、ドライバーにはチップを渡して退院したのだった。

 今回のマラリアは軽症で済んだから良かったものの、今後アフリカへも行くわけだから気をつけねばならない。アフリカの場合、命にかかわる熱帯熱型マラリアも多いとか、抗生物質のクロロキンが効かないとかという話も聞く。まあ、健康であってこそ旅行を続けれるわけだから、今後も十分気をつけねばならない。個人的に思ったのだけれど、ニューギニア島を旅する際はマラリアの予防薬を服用したほうが良いのかもしれない。  次を読む

*1 15年ほど前、2度目の海外旅行で2ヶ月ほどタイ、マレーシア、インドネシアを訪れ、帰国後日本で発病した。突然高熱が出て激しい悪寒と頭痛に襲われた。頭が割れそうなほど痛いし、背骨の奥から震えを感じ、歯がガチガチとなる。近くの病院へ行くとそこでは手に負えないからと、伝染病棟のある病院へと救急車で移送された。そこでもすぐには病名が分からず検査結果がでるまでさらに2日かかり、ようやくマラリアと判明。その後は抗生物質のクロロキンのおかげで無事回復。それでも1週間ほど入院せねばならなかった。

*2 15年ほど前の同じ旅行でデング熱に罹りインドネシア、スマトラ島のメダンに1週間ちょっとほど入院したことがある。マラリアと症状が似ていて高熱、激しい頭痛と悪寒、さらには関節の痛み、発疹の症状があった。すぐに病院に行き、やはり即刻入院。ドクターは英語が話せるが、私はデング熱という英語(dengue haemoragic fever)が理解できず、マラリアに似た熱帯病ということまでしかわからなかった。デング熱は今でも効果のある薬がなく、点滴と解熱剤で体力の回復を待つしかない。私も同様で夜中が特に苦しく、頭上のナースコールボタンを押して看護婦さんに看病してもらったりしたのだった。その病院では若くて美しい看護婦さんが最初の担当で、今でも彼女の優しい看病のことを覚えている。しかし体調が回復し病室を変わったら、担当の看護婦さんも変わってしまいガックリしたのだった。


© Rakuten Group, Inc.