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おべんきょおべんきょたのしいな♪(あやしい・・・)

2004年10月01日
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10月1日、無事司法修習を終了しました。
各教官からの講義の後、全体での修了式があり、
その後、クラスの一人一人に対して終了証書の授与がありました。

昨日の日記に書いたとおり、今年は多数の合格留保者が出ました。そして、非常に残念なことに、我がクラスからも、3か月後に卒業を迎えることになる人が出てしまいました。
普段の勉強態度や成績を見る限り、「えっ、どうしてこの人が」という人が留保となっており、まさしく想定外な結果でした。
日頃からこの人大丈夫かなあ、と言う人が落ちたと言うよりは、何でこの人を落とすんだ?という印象が非常に強かったです。

そもそも、2回試験というのは、修習を終了するに当たって、すなわち実務法曹として旅立つに当たって、法曹としての最低限の知識や技能を身に付けているかどうかをチェックする試験と言われています。
しかし、その最低限の知識や技能をチェックするための方法として、今現在行われている試験というものが適しているものなのかどうか、その点についてはかなり疑わしいと言えるのではないでしょうか。

確かに、試験は試験ですから、成績の良い悪いや順位というものは明確に出るわけで、その成績の悪いこと自体はやむを得ないのですが、2回試験の成績が悪いことと、法曹としての適格がないこと、というのは、全くリンクしていないように思います。

物差しを変えない限り、不合理な結果を蒙る人が出てくるのは避けられないわけで、非常に残念です。
ただ、我がクラスの留保者は、逞しく次のステップに向けて心の準備をしているようで、何よりだと思います。おそらく留保というレッテルは、今後も付いて回ることになるかと思いますが、人生万事塞翁が馬ではないですが、きっと大物の弁護士、あるいは人の心に近い弁護士になるのではないかと思います。
3か月にもう一度卒業式をやれることを心から楽しみにしたいと思っています。

にしても、試験の公平性の維持や参考文献やパソコンを1000人分以上そろえることの難しさから、法律家にあるまじく、六法と白表紙しか見ないで、準備書面や判決書を手書きで書かなければならないというのは、やはり疑問な気がします。準備書面を書くときにろくに文献を参考にしない(もちろん、時間的にきちんと見ることができないときはかなりあると思いますが)こともないでしょうし、もう少し何とかして欲しいものだと思います。

かなり衝撃が大きかったので、お礼が遅れてしまいましたが、応援頂いた皆様方、本当にありがとうございました。

裁判官任官の採否は10月6日のこととなりますので、まだもう少し時間はかかりますが、とりあえずご報告とお礼をさせていただきます。

それではまた。


10月1日、研修所での修了式を終えた後、謝恩会二次会と続きました。用意周到に巧みに準備された進行で、非常に楽しいひとときを過ごすことができました。幹事の方々には本当に感謝したいと思います。

また、教官やクラスにも恵まれて、楽しい修習生活を送ることができました。実務修習中も、指導担当や同僚に恵まれ、充実した一年を過ごすことができました。

ある教官がおっしゃられていましたが、君らがここにいることは、もちろん君らの努力に依るところも大きいのだが、ただしかし、環境が幸運にも君らにそれを許したというのに過ぎないと言う面もある。環境ゆえに、君らより能力がありながら、ここに来れなかった人たちもいる。君らは、そう言う人たちの思いも背負っているのだ。

権限と地位を持つに至ったものには、それ相応の責任と義務を果たすべきということでしょう。

公費での研修という司法修習制度が終焉を迎えつつあり、個人が私費で法律家になる時代が近づいてきました。
弁護士は、当事者の利益を代弁し、擁護するものであるという以上に、法の支配を現実に及ぼす担い手としての一面を有しています。
より分かりやすく言うと、やくざがバックにいる闇金は、違法な金利で、債務者の生活を圧迫し、それこそ身ぐるみはがして売り飛ばしたり、というようなこともしかねません。
しかし、弁護士が入り、そこまでの金利は取れませんよ、もう返済は不可能ですから破産手続に入りますよ、と闇金の横暴、人格を無視した取立、生活破壊を阻止し、債務者をそれなりの方法で、更生させます。
そうすることで、やくざに騙されて借金まみれになってしまった人でも人間らしい生活を送ることができます。ところで、借金まみれになっている人がどれだけの弁護報酬を支払えるでしょうか。

例えば、事件を起こしてしまった被告人は、やはり厳しい生活環境を持っています。家族との関係が切れてやけになって犯罪を起こしてしまった被告人を、例えば、再び家族の元に返らせることができたなら、その被告人は、二度と犯罪を犯さないかもしれません。
ただ、そう言う被告人は、しばしお金がありません。国選弁護という決して弁護費用としては高くない金額で弁護士が動くのは、やはりその被告人のためであり、そして、その被告人が更生することによって、再び犯罪が起こらないと言う意味で、社会のためでもあります。

そういった公益的な活動を担う弁護士という職業を、公費で育てるというのは、きわめて政策的に有意なことであるにもかかわらず、今後は公費での教育をやめることになります。ロースクールの学費に加え、司法修習時代の給与は貸与制となり、公費はかなり削減されることとなります。

国から給与をもらったから、弁護士は公益的な業務に就く、というのでは、志が低すぎる、と批判する人もいます。
弁護士は社会生活上の医師に喩えられます。医者については国からの給与制が導入されたそうです。医師は、国からの給与をもらわないと、公益的な業務に就かないのでしょうか。

およそ医療制度を国全体に普及されるのと同じくらい、法の支配、より分かりやすく言えば、殴られたり、名誉を傷付けられたら法廷でその損害を回復することができる、無実なのに逮捕されたら、釈放を求めることができる、やくざに絡まれて因縁を付けて脅されたり、総会屋に取り込まれそうになっても、法律のプロである弁護士に助けを求めることで、その難を逃れることができる、という社会にすることは大切なことです。
そのために、今まで修習生について給与制が取られていたのでしょう。

公費での教育を受けた最後の世代として、果たすべき役割を果たしていこうと思います。






最終更新日  2004年10月02日 15時27分15秒
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