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自律神経失調の原因は間違いなく「私自身の過労」にある。
過労と言う“身体ストレス”を極限まで続けた『結果』と私自身反省している。 “危険シグナル”は出ていたからだ・・・気がついていた。しかし、私を取り巻く環境が許さなかった。 過労時に『過呼吸発作:過換気症候群』を起していたからだ。 (当時はこのこと(過呼吸発作)は自分でも何が起きたのか判らず、 その度に“パニック発作様”を起こし、救急外来にお世話になっていた。) それを無視をしていたわけでなく、気がついているが、休むに休めない状況だった。 もちろん“心理的ストレス”も皆無ではない。残業の多かった仕事に不平不満はあった。 身体だけ疲労して、“こころは豊か”なんて状態はありえないからだ。 ただ、それが(“心理的ストレス”)が症状発現の直接のきっかけではない。 あくまでも、発症以降に『思うように身体が動かないために不安が増強された』に過ぎない。 始めは気持ちは前向き(元気?)に、仕事に出かけてたからだ。 では、何が気持ちを滅入らせたのか?。そこが問題になる。 それはやはり『医療』からであろう。 バッツ症候群の初診にも書いたが、内科ではどんな検査をしても「?:原因が解らない」、 そこから“診療科たらいまわし”が始まった。 ・・・そして最後に自分が感じたのは『後は精神科かぁ?』と思い、その科を受診せざるを得なかった。 そこは某有名な著者を医院長に持つ、私の中学時代好きだった「作家」の家系だった。 住んでいる所から車で割と近かったので、そこへ出向いてみた。 閑静な森の中の医院で、隣接して入院棟もある。 そこで頂いたありがたい?症名は「心臓神経症」だった。 これは脈を気にするあまり、心電図には異常がないのに“不整脈感”を感じるかららしい。 しかし、これは「精神的な病気の範疇」で「肉体疲労の結果」とは思えなかった。 思い悩んで「脈を意識するようになったわけではないが・・・?」なのだが、 治療すべきありがたい?“症名”に私は「変に納得?」して、それを治療することになった。 このときの薬剤は「ワイパックス0.5mg、ドクマチール50mg」とたいした薬量ではなかった。 しかし、肉体疲労へのアプローチは、この薬から判断しても何もない。 残業の多かった仕事(会社)を変えて、安い給料(アルバイト)で働く羽目になる。 これが『全ての悪夢の始まりの“序章”』だったとは、私自身にも気づくはずがない。 そして治療期間も「半年くらい?」と見ていた私も、後に甘かったことを思い知らされることになる。 平成2年も始まりかけた・・・1月の中旬だった。 続く・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2003年06月15日 01時24分44秒
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