僕は時々思います。「性」とは、男性であること、女性であること、とは何なのかと。日本人の中にはまだ「親からもらった体に傷をつけるなんてできない」とか「美容整形なんてとんでもない」とか言っている人たちがいます。それはそれでかまわないのですが、というか、僕にしてみれば、それはまだかわいいものだと思うのです。それは、自分で何もしないという選択をし、その選択に疑問を持っていないのですから。しかし、僕のクリニックに時々やってくる、オカマちゃんやニューハーフは、そうはいかないのです。
普通の人たちにとってのコンプレックスは、もっとキレイになりたいとか、もっとカッコヨクなりたいとかです。具体的に言えば、目をもっとパッチリ二重にしたいとか、もっと鼻を高くしたいとかです。しかし、性のコンプレックスは、こうしたこととは質が違います。
男性が女性になる、もしくは、限りなく女性に近づくことに対して、美容外科はそれこそ様々な方法を持っています。(僕のクリニックには、そうした人は僕の知る限り、もと男性しか来ていません。)しかし、性とは神が決めたものであって、人が人の性を左右したり、変えたりできるものではないのかもしれないのです。
だから、僕のクリニックにオカマちゃんやニューハーフが来た時に、ちょっと恐くなることがあります。患者さん自身が決めたこととは言え、性を超えることは、一重を二重にすることとはまったく意味が違うはずです。そして、その患者さんが望んでいることとは言え、性に関連する治療をすることは正しいことなのだろうかと、いや、正しい正しくないではない、医者としてその権利があるのかどうか、と言うことを僕は思わずにはいられないのです。
たぶん、このオカマちゃんやニューハーフたちは、親からもらった体だから、なんて理屈では割り切れないものを抱えてしまっているのです。そして、僕は美容外科医になるまではわからなかったのですが、そうした患者さんが意外と多いような気がします。だから、美容外科医としてほんとうは何ができるのか、考えなければいけないのかもしれないのです。