「マークスの山(上下) (講談社文庫) | 高村 薫」(警察小説でもないし山岳小説でもない直木賞受賞作品)
これまで医療やランニングに関する小説や山に関する本はノンフィクションも含めてあれこれ読み漁ってきたとちょっとだけ自負している。しかも直木賞受賞作品というので「いつかは読まねばなるまい」とずっと思っていた本。ここのところ仕事関係の未読本をかたずけることに専念していたこともあって読書が進まずもんもんとしていたので「長編読みてえな~」と思ってついにBookOffで購入した。●昭和51年の秋、雪の降る南アルプス北岳登山道周辺で起こった「山の話」を含む3つの事件がすべての始まりだった。●全体に何だか「暗い」といか精神の「闇」みたいなイメージだった。両親の心中から生き残ったものの精神に障害を残したとされる犯人の精神病理が小説全体の謎の部分であったり不可解な部分の整合性に使われたりしているが、医学的にはちょっと嘘くさいんじゃないかと思ってしまった。一般の人(医療関係者でない人)はどう感じるのかな?と思った。ノンフィクションだと思って楽しむならいいけど・・・直木賞受賞はやはりその時代だったからなのだろうなとも思ったが、考えてみればそれは当然なことだろう。●警察小説はあまり読まないけど、この小説で読む限り、警察内部って部署が違うだけじゃなくて同じ係の中でもそんなに仲が悪いの?それってリアル?と疑問に思った。公安や検察との距離や対立は何となくわかる気がするが、これもリアルかどうかは分からない。公安と新左翼学生との裏のつながりは実際にあったようだと聞いている。著者はそのあたりに詳しいのかもしれないと勘ぐったりする。●真相解明が突然出て来た遺書の詳細な記述によってなされていたのに何だか拍子抜けに感じてしまったけど、MARKSマークスの意味が人の名前の頭文字だったとは遺書で種明かしされるまで気が付かなかった。〇「播種」「発芽」「生長」「開花」「結実」「収穫」という各章のタイトルについて●たぶん深い意味があるのだろうけど意味がイマイチぴんとこなかったなあ・・・〇山に登ると、日常の雑多な思いは面白いほど薄れ落ちていき、代わりに仕事や生活や言葉の覆いをはぎ取られた自分の、生命だけの姿が現れ出る。凝縮され、圧延され、抽出され、そぎ落とされていくそれは、自分でも驚くような異様な姿をしているのが常だったが、その体感は一言で言えばこの世のものでない覚醒と麻痺だった。●山は事件の現場としてだけでなく、それぞれの登場人物にとってそれぞれの意味があるのだろうけど、森さんが山に目覚めた(らしい)のは何となくうれしい。