「夢見る帝国図書館 | 中島 京子」(「図書館を主人公にした小説を書くのはどう?」から始まる喜和子さんと図書館の物語)
・中島京子さんとの出会いのきっかけは、辺境ライター高野秀行さんが書いた「辺境中毒」という本の「辺境読書のコーナーで、一番好きな小説家「ナカキョー」として紹介されていて興味を持ったことだった。「ナカキョー」さんは辺境読書には全然関係ないのだけど文章がとても好きだということだったと思うが、こんな出会いもあるのだなと今思えば懐かしい。・そういうわけでタイトルに魅かれた「妻が椎茸だったころ」が多分初読みで次が「ゴースト」だったかな?「長いお別れ」「小さいおうち」「のろのろ歩け」なども読んで2年ぶり6冊目の中島京子さん作品を図書館本で。ワシにとって「ナカキョー」さんは、のめり込んで読むようではないけど独特の世界観があってまた読んでみようかなと魅かれてしまう小説を書く作家。「小さいおうち」で直木賞を取られたのだけど、マイベストは認知症になった夫との生活を書いた「長いお別れ」だなと思っている。・で、この小説はまた「帝国図書館」が主人公という画期的な発想で、「ゴースト」と「小さいおうち」のテイストを合わせたような小説だったような気がするが、なかなか読み応えあり、読後感もまたなかなかだった。夢見る帝国図書館 [ 中島 京子 ]楽天で購入2020.1.27読了〇「図書館が主人公の小説を書くのはどう?」●上野のかつて帝国図書館であった子ども図書館の近くの公園で、と初めて出会った喜和子さんが「作家」である私に話したことが物語のスタート場面で、ラストシーンは・・・〇復員兵が図書館の前に立った。・・・「なんて名前?」「こんどは、小さな声でその子が答えた。「きわこ」●このラストシーンから物語はまた始まりに戻っていくのだ。という感じで小説は終わる。●理想に燃えながら始まった帝国図書館は、金策や政治や戦争に翻弄されながらもその理想を保つ努力を続け、たくさんの作家やいろいろな人たちとともに生きながらえてきた。娘が大学に入るのを待って九州の家を出て自由に生きてきた喜和子さんの奔放と思えた人生の真実が次第に解き明かされてくる・・・で、最後のシーンで終わるのだ。●小説半ばで喜和子さんが死んでしまったときにはびっくり!だったが、生きている喜和子さんの口から彼女の過去の人生を語られるよりは死後にほかに人の口からまたは創造として解き明かされていくほうがよかったのだろうなと思う。母親に半ば捨てられて預けられた親戚から逃げ出して東京で2人の復員兵と奇妙な同居をしていたこと、そのとき「兄さん」と図書館に行ったこと、「兄さん」が図書館の小説を書いていていろいろ話をしてくれたこと・・・ってやっぱり喜和子さん本人の記憶にはなかったり現実かどうかあいまいだったという設定で語られてこそということだったのかと思う。・この小説で出てきた帝国図書館にかかわった文人たちは、永井久一郎(永井荷風の父で帝国図書館の創立者)、幸田露伴、淡島寒月、夏目漱石、樋口一葉(図書館は彼女に恋したらしい)、谷崎潤一郎、芥川龍之介、宮沢賢治、宮本百合子、林芙美子・・〇「上野って、昔から、そういうとこ」「上野はいつだって、いろんな人を受け入れてきた場所よ」●というような喜和子さんの台詞がたびたびでてくるが、この上野愛は作家である中島さんの気持ちを代弁している可能性もあるなと思っている。・中島京子さんという作家、恋人や親友にはなれないけど気になるというか興味があるというか一緒にいると穏やかになれるような存在だという気がする。うまく言えないなあ・・・