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テーマ:お勧めの本(7214)
カテゴリ:現代文学一般
・河崎秋子さんの1作目「颶風の王」で自分の人生が上滑りしているだけで地に足が付いていないことを再認識された。読んだのは2016年3月、4年半も前になる。
◇当時の感想 ---------------------------------------------------------------------------------- ●日常生活を上滑りしながらなんとかこなして生きている自分にとって、自然と人間と馬・・・大地に根を生やして自然の中で誠実に生きる捨造(そのネーミングからしそれらしくて魅かれる)生活って心を洗われるような感じで崇高な感じで憧れる。 ○「むくいねば。むくいねば・・・」「もう及ばねぇ」 ●及ばぬ定めで馬を捨ててまた新たな土地に・・・明治から昭和そして平成に時代が変わって「オヨバヌ」が ○「なんも。及んでるよ」 ●って感動!泣ける!認知症になった家族との接し方についても示唆に富むと思う。 --------------------------------------------------------------------------------- ・そう感じたことは覚えているけど小説の内容は残念ながら覚えていない。近いうちに読み返してみたいと思う。 ・この次に3作目の「土に贖う」を読んだ。で今回この2作目「肉弾」で読んだことになる。
・前半までは表紙でこちらを睨んでいる狐みたいな動物が何者か分からなかった。今は分かる。ラウダだ。裏表紙にはチワワが、表紙のもう一匹は白黒かも? ・飼い主に捨てられたり、飼い主から逃げたりして野犬化して共同生活するようになった犬たちがいる。行き違いから兄弟を殺して食した子熊が親の元を去って自分以外の生き物は敵でありエサであるとして生きる宿命を負いながら凶暴に生きている。その熊に父親を喰われた青年キミヤは、元陸上部の引きこもり。 〇こんなに穏やかなのに、こんなに温かなのに、昔、ここに住んでいた人間が食うや食わずの生活を送っていただなどと、実感を得られないまま・・・ ・舞台は北海道道東の摩周湖付近の原野である。そこには北海道開拓時代の貧しい時代の歴史が埋もれている。開拓にまつわる辛く悲しい歴史、旅館のオヤジの祖祖父は自ら山に入って穏やかな死を選んだのだと話を聞く。 ・その爺さんのものらしい大腿骨が重要なアイテムとして最後のほうまで生きていた。ラウダの首輪やキミの犬歯とともにラウダやその子孫たちに受け継がれていってほしいと思う。 ・狂ってしまって自分を制御できなくなってしまった凶暴で悲しい熊、それぞれにいわれのある野犬化した犬集団、北海道の原野で父親を失って彼らとともに戦い共に生きる羽目になった青年キミヤが、生きることの本質的というか原始的な意味を感じる物語だったと思う。現代社会を生きているだけでは感じることのできない、ナマの生きている感覚を思い出すというか感じることがテーマだったと思う。 ・正直、1作目、3作目と比べて、ちょっと期待と違ったせいかイマイチだなと思ったにだのだが、感想を書いているうちに何だかいい作品だったなと思い直した。河崎秋子さん、けっこう心にズシンとくる作家さんだな。
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Last updated
2020.08.10 21:35:43
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