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鹿児島◆マスターでゅーく◆梟の寝言

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2008.01.10
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カテゴリ:かごしま万歳!
読書週間中の、マスターでゅーくですバイバイ

司馬遼太郎さんの『歳月』を読みました。

20080111031648.jpg

歴史を読み解くのが好きな私、ズッーっと気になってたことがあって、

『明治維新期に活躍した志士で、司法卿(今で言う法務大臣)にまで上り詰めた佐賀藩士
江藤新平が、佐賀の乱を起こしたとはいえ、どうして梟首刑(いわゆる晒し首)に処せられなければならなかったのか?』

そこら辺の細かい機微が、謎でした。



わずか7年の間に栄光と転落をあじわった江藤さんの生涯が何ともドラマチックで、
また、歴史の面前にあまり登場してこない佐賀藩の藩風がより具体的に見えてきました。

江藤さんもやはり、ひとりの偉大な漢(おとこ)だったんですね~。
『歳月』、読み応えのある、いい本でした。


ところで江藤新平を梟首に刑したのは、他ならぬ薩摩の英雄、大久保利通

江藤が整備した新時代の法律を無視して、それ以前の刑法と中国古代の刑法を無理やり当てはめて、歴史上ないほどの独断で(無茶な裁判を引き受ける裁判官を1000円で探して)即決処刑したそうです。
何冊か本を読みましたが、おおかたそういう史実ですね。


江藤さんは江藤さんなりに日本の将来を憂い乱の首謀者となり、大久保さんは大久保さんなりの重責において懸命に国を護ろうとしたんでしょう。

でも、わたしは歴史家でも評論家でもなく、すべて歴史を客観的に見る必要はないはず。
好き嫌いで歴史を語っても何ら問題ないでしょう。

で、あえて私は言いたい。。。

やはり、大久保利通は好きになれませ~~ん!!


もし西南の役に参加するとしたら、間違いなく薩摩軍に参軍していたでしょう。

高見橋のたもとに大久保利通の像があるのを皆さんご存知でしょう。
その像の台座に彫ってある名前の配列がいびつで、特に「利」の字が極端に左にずれているのにお気づきですか?
私が思うに、アレには誰かの故意が働いているように思えてならないんですが。。。
40年も以前だったら、街の真ん中に一蔵どんの銅像が建つなんて許されなかったわけですから。


いわんや、中央警察署前の川路利良像をや。


てなわけで、江藤さんが主役の『歳月』を読んだ感想が、私的な大久保利通評になってしまいました。ま、それだけ大久保さんが偉大だったことの裏返しなんですよね~。


コメント、入らないだろうな~失敗





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最終更新日  2008.01.11 16:14:20
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