|
テーマ:懐かしのフォークソング(675)
カテゴリ:カテゴリ未分類
高田渡さんが亡くなったと知ったのは
Yahoo!のニュースだった。 あれは90年代初めの頃だったか....。 ぼくは一度だけだが、同じ席で高田渡さんと酒を飲む機会を得たことがある。 場所は吉祥寺『のろ』。 大塚まさじのライヴの後。 そこにはギターの神様中川イサトもいた。 そのときのこと、いやさらに昔。70年代のフォークソング最盛期を思い出し、 いくつかのサイトを回ってみた。 『タカダワタル的』 『中山ラビ...ラビwebです』 いずれのBBSも高田渡さんへの哀悼の言葉で埋め尽くされている。 そう、あの頃は高田渡さんを慕い、いろんなミュージシャンが彼の元を訪れ、 彼の紹介でステージに立っていた。 シバしかり、 友部正人しかり。 だが、いちばんショックを受けているのはこの人かも知れない。 『Twins Ryo Web』 ここは、かの吟遊詩人・加川良のサイトだ。 彼の名作中の名作「下宿屋」の中で加川良は高田渡さんのことをこう唄う。 「何がいいとか 悪いとか そんな事じゃないんです たぶん僕は 死ぬまで彼に なりきれないでしょうから ただ その歯がゆさの中で 僕は信じるんです 唄わない事が一番いいんだと 言える彼を」 くしくも彼の命日は、この人、なぎら健壱の誕生日と重なった。 『下町キッズ』 高田渡さんがいなければ、その後の音楽シーンはあり得なかった。 彼は、マスコミに出なくても、日本中ギターを抱えて歩き、 直に音楽を届けるという方法があることを示した偉大な先駆者だった。 高田渡だけ、“さん”を付けなくてはならなくなったことが哀しい。 ※高田渡さんを知らない方へ。ここで試聴できます。 試聴 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|