『私の勉強法』ひょんなところから出てきた、生徒さん向けの、パパの原稿。とてもためになるので、ここに記録させていただきます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 『私の勉強法』 なた@楽の旦那 記 私は、小さいころから自然科学(理科)が好きでした。 小学生の頃は昆虫(セミ)を捕まえたり、 家に畑があったので穴を掘ったりして遊んでいました。 近所の遊びの仲間では一番背が低く腕力も乏しかったので、 いつも鬼ごっこでは、オニをさせられていたような気がします。 そんな環境で育っていたので、特に人より速く走る事が出来るようになりました。 小学5年生から陸上部に所属し(担任が顧問だったので半ば強制) 6年生では200mで市内3位、400mリレーでは県6位という成績でした。 放課後、辛い陸上の練習をし、小学生のときから帰宅時間が7時頃でした。 ですから中学の時、部活は陸上部以外の運動部と決めていました。 たまたま、友人からバレーに誘われたので、その時から「私のバレー人生」が始まりました。 と、前書きが長くなってしまいましたが、私にとってなんで勉強してきたかと言うと、 人一倍「自己顕示欲」が強かった事 だと思います。 父親はいい成績をとってもあまり褒めてくれませんでした。 そんな反動から常に褒められたい、周りから良く見られたいという精神が 根底にあったと思います。 悪く言えば「目立ちたがりや』だったかもしれません。 高校では、自分より優秀な人がたくさんいました。 自分より優れている点があれば、真似をしました。 具体的には「字がきれいな奴がいたらそいつと同じように字をきれいに書く」とかです。 運動(バレー)においても、いいプレーををするには真似から入ると思います。 高校時代運動部でしたので、1、2年は毎日宿題をやるのに精一杯でした。 その分、夏休みなどの長期休暇には、集中して勉強したと思います。 かえって、休みの日の方が勉強量が多かったと思います。 あと、目標を立てました。 特に入試の前ですが、 1日問題を何問とくとか、いついつまでに問題集を何ページから何ページまでやる、 といった具体的な目標でなくて、 「このボールペンを○○日で使い切る!」というようなプレッシャーを 自分に与えていたような記憶があります。 つまり質より量を重視していたと思います。 このことにより、机に向かっていても、『ボー』としている時間を 最小限に食い止める事が出来たと思います。 授業の折にもときどき言っているのですが、(特に理系の諸君へ) 『消しゴムを使わない勉強』 をして下さい。つまり「ボールペン勉強法」をお勧めします。 数学で計算(やり方)を間違え答えが合わないと、全部消しゴムで消して最初から という人がいますけど、時間の無駄です。 計算式をさかのぼって間違えを探す事に主眼を置いてください。 そうしないと試験の時に同じ失敗をする恐れがあります。 紙・ノートがもったいないという方は広告の裏でも使ってください。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 亡くなった直後、学校のホームページに「ご冥福をお祈りします」という言葉とともに、 再度掲載してくれました。 このホームページを見て、パパの言葉を聞く事が出来、涙が出ました。 理系の先生なので、文章は、正直言うと上手とは言えない感じですが(パパごめん)、 私も実践してきた事ですし、子供達に伝授しようと思います。 私はこのコピーを長女が中学入学前に、渡しました。 ちょっと早いですが、長男には、もうすぐ渡そうかと思っています。 書いてある事が分かるようになった頃に… 本当は、パパの口から直接教えてあげてもらいたかったと私は思います。 ーーーーーぱぱへ。パパの学校の方々へ。ありがとう。 ======================================== パパは、闘病中に、しきりに言っていました。 「おとうさんと、おかあさんの子供でよかったと思う。 きびしかったけど、今の自分になったのもお父さんのおかげだし、 やさしくて、お母さんが大好きだ。」 と。 そんな中で、彼はこうやって勉強してきたのね。。。しんみり思いました。 |