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カテゴリ:★パパの闘病記録
一日遅れで書いている日記ですが、金曜日、会社で思い出していた事を。。。
なぜだか「ヤクルト」についてのことを思い出していました。 がんセンターでは栄養士さんが病人と相談しながら食事を決めてくれます。 以前書いたように、クロワッサンは出ない…など制限はある様ですが、 患者の要望を取り入れてくれます。 パパはヤクルトとか、よく飲んでいました。一杯飲むのに適当だったみたい。 でも、入院中時々朝食でついてくるのは、あまりのどを通る感じではなかった様です。 ある日、次男うんじゃら(当時、3歳なりたて)が、飲みたいと言い、もらいました。 次の日から、パパは、必ずヤクルトを朝食に付けてもらい、 私たちが朝食時間あたりに到着すると、うんじゃらにくれるのが日課になりました。 いつも、静かに、「はい」って手渡して、当たり前の様に「ありがとう」って言って、 うんじゃらは大喜びで飲みます。 パパが、ベットから動けなくなり、上半身を起こして座っている事が多くなった頃も、 同じように、静かにうんじゃらに手渡されていました。 =============== かなり、さよならに近かった頃だと思います。 医者からの説明では、 鬱に効く薬が、痛み止めの効果もあるので、それも飲んだ方がいい と言われて飲み始めた薬のせいでしょうか。。。 (コレは、今では、本当は死期への恐怖を紛らす薬だったのではなんて思ってしまう) ある朝、パパはいつもの様に出されたヤクルトを、 とても楽しそうに、 「ほしい~?どうしようかな~?あげようかな~飲んじゃおうかなあ~?」って、 うんじゃらをからかって、手渡ししなかったのです。 うんじゃらは、いつものようにもらえると思っていたので、へそを曲げてしまいました。 それでも、パパは楽しそうに「ほしいの~?どうしよ~」って笑ってます。 そこまでしつこく、うんじゃらをからかうパパを見たことがありませんでした。 うんじゃらも、初めての事に、まじめに泣き出しました。 私は、パパがパパじゃないみたいって感じました。 妙に、嫌な感じがしたのを覚えています。手が届かなくなりそうな感じ。。。 でも、パパはうんじゃらにヤクルトをくれました。そのことは、忘れなかったみたい。 だから、そのときは、すごくすごく、「あ、パパだ」って、ホッとしました。 その思い出は、その時限り。その次の日はどうやって渡されたのか覚えていません。 。。。ということは、多分、 パパの手からうんじゃらの手にヤクルトが渡された、最後の日だったのでは…って 思います。 ====================================== うんじゃらは、ヤクルトを見ると、「ぱぱがいつもくれたよね~」って、言います。 なんとな~くは、覚えているみたい。 先日は、みんなに1本ずつ配ったヤクルト、 もう1本をうんじゃらが 飲みやすいように口をあけて、「ぱぱに」ってあげました。 多分、手渡ししていたことなんて、忘れちゃったと思います。 3歳なりたての頃の事ですから。 ままには、ついこの間の事の様に鮮明に思い出せるシーンです。 本当に、ついこの間。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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