154581 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

bis Himmel und Erde...

bis Himmel und Erde...

第2次世界大戦の跡をゆく

ノイエ・ヴァッへ    ノイエ・ヴァッへ (戦争と暴力支配の犠牲者のためのドイツ連邦共和国中央慰霊館)

旧東ドイツの象徴ともいえるベルリン・アレクサンダー広場テレビ塔からブランデンブルク門までの大通りを歩くと、オペラ座の向かい側、歴史博物館のあるあたりに、こんな施設があった。

なんだろうという好奇心で寄ってみると、建物の1階をアトリエにして、真ん中に子どもを抱いた女性らしき像があった。「ノイエ・ヴァッへ(戦争と暴力支配の犠牲者のためのドイツ連邦共和国中央慰霊館)」。ドイツ語、英語、フランス語、スペイン語、日本語、トルコ語などの説明記述があった。

ここは19世紀前半に建てられ、新衛兵所(ノイエ・ヴァッへ)として使われたようだ。2次大戦終戦直前に爆撃を受けた。以後、旧東独によって再建され、1960年から「ファシズムと軍国主義の犠牲者慰霊館」として使われるようになったのだ。

写真には写っていないが、手前にはろうそくが立てられている。この火は69年から永遠の炎として灯されてきた。

そして中央の像は、ケーテ・コルヴィッツという方の「死んだ息子を抱く母」という作品を拡大したものである。

説明書きの横にはこんな言葉があった...

****
ノイエ・ヴァッへは
戦争と暴力支配の犠牲者に対する
記憶と追悼の場である

我々は
戦争で苦しんだ各民族に思いをいたす。
我々は、そうした民族の一員で
迫害され命を失った人々に思いをいたす。
我々は、世界大戦の戦没者に思いをいたす。
我々は、戦争と戦争の結果により
故郷で、捕らわれの身で、また追放の身で
それぞれ命を落とした罪無き人々に思いをいたす。

我々は殺害された何百人ものユダヤの人々に思いをいたす。
我々は殺害されたシンティ・ロマの人々に思いをいたす。
我々は、その出自、その同性愛、その病や弱さゆえに
それぞれ殺されていった全ての人々に思いをいたす。
我々は生きる権利を否定され殺害された全ての人々に思いをいたす。

我々は、宗教や政治的信念ゆえに
命を落さなければならなかった人々に思いをいたす。
我々は暴力支配に抵抗し命を犠牲した
女性たちや男性たちに思いをいたす。

我々は自らの良心を曲げるより死を受入れた全ての人の栄誉を讃える

我々は1945年以降の全体主義独裁に逆らったために
迫害され、殺害された女性たちや男性たちに思いをいたす。
****

ここに言及されていた人々みんな、ナチズムの下(もと)で迫害対象になってた。対象はユダヤ人だけではなく、シンティ・ロマ族も同性愛者も、体力の弱った者も、政治体制に反対した者も、全部収容され、殺されていったのだった。「健全な純種ドイツ白人」だけを残し、他を抹殺していった。

SSと呼ばれる秘密警察が家宅捜査をし、密告を含めていわゆる「劣性」と位置づけられた人々を逮捕し、強制収容所に送っていった。そのために造られた鉄道も収容者たちによるものだった。ワイマール市中心からブーヘンバルトまでの約10kmをたった1週間で完成させたという。過酷さが推測できよう。

ブーヘンヴァルト    ヴァイマール市中心~ブーヘンヴァルトの鉄道

ある収容所では、ARBEIT MACHTS FREI(労働は(きみたちを)自由にする)という標語が中央看守タワーの門に書かれ、あるはJEDEM DAS SEINE(それぞれはそれぞれの道をゆく)が。実に皮肉たっぷりのスローガンだ...

ブーヘンヴァルト2    JEDEM DAS SEINE(ヴァイマール、ブーヘンヴァルト強制収容所)


そんな出来事がとおの昔にあったのではない。たった60年ちょっと前だ...信じがたいかもしれないが。

>>Es ist geschehen, und folglish kann es wieder geschehen. Darin liegt der Kern dessen, was wir zu sagen haben.<< Primo Levi

「それは起きたことだ。だからまた起こる可能性がある。これが私たちが伝えなければならないことの核心である」プリモ・レヴィ










© Rakuten Group, Inc.