コノハナサクヤ姫 本物の自覚
久しぶりの更新です。チャネリングの調子がでない日が続いていましたが、ようやく少し気づけたように思います。コノハナサクヤ姫に「本物の自覚」をテーマに問答しました。【よろしくお願いいたします。かつてより自身が本物になるということを考えていましたが、現実の忙しさより忘れてしまうことが多かったように思います。本物になることを目指すといつまでも本物でないように思います。今が本物と自覚して生きていくのであれば、どのような現実の状況であれ、その中で極めていけるとも思います。】(笑い)現実とは厳しいものよの、その中で真実と語るものが本物とは限らぬことはいつの世も同じよの。そなた自身が本物でない限り贋物は見抜いていけぬは道理じゃ。人が捜し求めるのは真実じゃ。真実とは今この瞬間にあるもの、それに気づかず、時間の先に捜し求めても見つからぬのもまた道理よの。(笑い)今この瞬間の真実とは、見えておる景色そのものじゃ。だが、見えておるのに見ようとせぬ、色をつけてみようとするのみよの。現実のどの世界で生きておるのじゃ。自身が蒔いた種、育てるも、枯らしてしまうのも、自身で見守ることじゃ。この時代、もはや猶予はないと思うことよの、本物と自身を自覚するのであれば、揺れる心は、直ちに真直ぐにすることじゃ。意識の海は臨界を越えた。明かりが灯っているのは、そなた自身が信じて進む道だけじゃ。道を外れることは、もはや元の道には戻れぬようになる。本物と信じて進めば、それが本物である限り、明かりが消えることはないよの、細い道じゃ、見極めながら進むことよの。【道を外れればその世界は、力づくで押しつぶされそうな世界のように思います。気象現象だけでなく、仕事や家庭が大きな変化を迎えそうな前兆が表れています。この先どうなるか、荒波の様相であれば、荒波の海すれすれで上を進めば切り抜けられるようにも思えます。】(笑い)頭を上に出しておる限り溺れることはないよの。もがけばもがくほど、自由は利かぬのが海じゃ。だが誰も助けることはできぬ、自力で岸まで泳ぎきることじゃ。頭を上に出すとは、息を吸うということじゃ。体が現実の海の中にあったとしても頭は本物の空気を吸いながら進むことじゃ。沈みきってしまえば、やがて海の底とも気づかぬようになる。いつか楽になるとは思わぬことじゃ。空気を吸いながら泳げば苦しくはないであろう、本物という空気は常に周りにあるということよの。【ありがとうございました。】